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あした、革コン!

みなさま、こんばんは。明日はいよいよ革コンです!!



革こん
イメージ図



日時 3月3日14時~17時(終了後打ち上げ)
場所 早稲田大学16号館308号室



内容
☆開催のご挨拶☆(5~10分程度)
☆交流会☆(大きく大学問題・労働問題・社会問題のカテゴリに分けた形を想定。臨機応変に対応!)
☆休憩☆(20分ほど)
☆交流会☆(3グループぐらいにシャッフル。臨機応変に)
☆締めの挨拶☆(20分ほど それぞれどのような話をしたかの共有)
☆打ち上げ!!!!!!☆

呼びかけ人
菅谷圭祐(法政大学六年、ゆとり全共闘)
小川 竜弥(自主乾杯祭実行委員長、ソーシャルワーカー)
砂希矢エリカ(某カフェ労働者、フリーター全般労働組合)
岩井佑樹(法政大学学生、戦う学生)
東洋鍋子(首都圏学生、シェアスペース運営員)




当日場所などわからない場合は09075254766(菅谷)まで連絡ください。

明日の革コンから、一つでも多くの出会いや新たな関係性が生まれることを願っていますO(≧∇≦)O
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「革コン」呼びかけ文2

1.はじめに
「全国の叛乱分子(候補)、集まれ(`・ω・´)=〇」というスローガンを掲げた、この革コン。正直、私は叛乱分子であるという自覚はない。ゲバ文字なんかを見ると、うぉー!となる共産趣味者ではあるが、基本的にノンポリである。場の雰囲気に応じて、君が代も歌えばインターナショナルも歌う。叛乱よりも、折り合いや落とし所を考えることのほうが好きだし、向いている。呼びかけ人としてこの場にいていいのだろうか 笑

2.寿町 なんとなくから 暮らしまで
大学生のころ、横浜・寿町に卒論を書きに行った。
経済格差が!とか、抑圧された人民の!とか、救済してあげなきゃ!とかいう崇高な思いは露ほども持たず、なんかあぁいう「灰色のおっさん」たちばっかりの空間が好きで、足を運んでいた。
初めて寿に行った時、街のおっちゃんから第一声「お前学生か。学生なんか勉強の用が済んだら来なくなっちまうんだろ、1回や2回街に来たくらいで分かったつもりになるんじゃない!」と怒鳴られ、なんか悔しくなったのでとにかく通ってみることにした。
野宿者訪問の夜回り、夏祭りの運営、越冬闘争(年末年始の行政窓口閉庁期間中の相談窓口自主運営とか炊き出しとか。オイルショックのころから毎年やってる派遣村のようなもの)、相談会、生活保護申請同行などなど、いろいろやってみた。
気づけば街の活動に関わって5年目。就職してすぐに市内にある実家を出て、寿と川を挟んで対岸の地域、石川町にアパートを構え、暮らしている。卒論を書きに来たときはこんな生活をしているとは思ってもみなかった。

なんとなく好きになった寿町。
街や路上でおっちゃんたちと関わるうちに、一人一人の生き様が見えてきた。
港の荷おろしの仕事をしてきたおっちゃん、建築にずっと関わってきた腕のある職人だったが、工法や必要とされる技術が変わって、年もとって結局仕事にありつけなくなったおっちゃん、児童養護施設出身のおっちゃん、実家は金持ちだったけど、家からつまはじきにされて独り者として寿のドヤ街にいるおっちゃん、かわいい…すなわち年齢不相応な振る舞いや言動、働く上では厳しかっただろうというおっちゃん、アルコール依存症のおっちゃん、妻も子どももいたけど、いろいろあって今の暮らしになって、もう顔なんてあわせられないよというおっちゃん、会話が成り立たない、認知症のおじいちゃん。
生きてきた道筋だけでなくて、考え方も色々。「俺は職人ずっとやってきて腕には自信がある、まだやっていける。でも働きてぇんだけど雇ってくんねぇんだよ…」という、明らかに足を引きずっているおっちゃん。昼間から酒を飲むおっちゃんの「本当は俺だってまっとうになりたい、でもみんな受け入れてくれねぇじゃんかよ…」という、シラフのときに時折のぞく本音。「福祉なんか受けたくねぇ!人様の、特にお上の世話になんかなりたくねぇ!俺は缶拾って自分で稼いでんだ!」という野宿のおっちゃん。直接税は納めていないが、税金の恩恵も受けていない。
世間一般ではイメージだけで遠ざけられている、野宿のおっちゃん、ドヤ街のおっちゃんたちの生き様は、リアルで、かっこよかった。かっこよいおっちゃんも、素敵だった。いい人ばかりではないし、どうしようもない人も中にはいるけれど。とにかく、人と関わるのが面白かった。

3.ドモホルンリンクル的・潜在的就職活動
そんな感じで卒論調査を兼ねたボランティアに精を出していたら、案の定就活がうまいこといかず、大学を出て無職に。より正しく表現するならば、就活は人並みにしたものの、就活をやることに意味を見出せず、志望動機がきちんと答えられるような仕事も見つけられず、逃げて逃げて、卒論調査、ボランティアという大義名分を掲げて、自分の居心地のいい場所に居座ろうとしただけだった。ナメていた。
実家にいたし、あんまり自分が生きていくこと、自分の生き方を考えることに対して、真剣になれていなかったんだと思う。
大学卒業後、飲食業、塾講師、日雇い派遣などのアルバイトはやっていた。詳しくは割愛するが、自分の本当にやりたいこととも、向いていることとも少し違ったようであった。自分が何がやりたいのか分からず、無気力になりつつ、就職できるのか、まともに生きれるのかどうか、不安だった。不安な気持ちを紛らわすために、自分のこともちゃんとできていないのに人助けのボランティアなんて、と複雑な気持ちになりつつ、空いた時間で寿に通っていた。
現在、寿でのボランティアを続けてきた縁で、なんやかんやで就職して働いている。
制度ありきの支援ではなく、相談者個々に応じた支援をやっていく内閣府のモデル事業「パーソナル・サポート・サービス(PS)」でやっている相談室にて、相談員の仕事をしている。就職支援、労働問題、知的・発達・精神障害等の課題、家族や生育歴の中での関係性の課題、生活困窮などなど、うちはこの問題しかやりません、とたらい回しにするのではなく、相談者本人に寄り添って、時には訪問、行政窓口や他機関への同行、病院同行、引越しの手伝い、荒れに荒れた部屋の掃除などをして関係性を築きつつ、抱えている色々な課題を一つ一つ解きほぐしていく道筋を相談者本人と確認しあいながら動いてきた。
そんな相談室が3月末で閉鎖になるが、それについてはここでは割愛する。

4.「抱えない」ことの意義
寿でも、相談室でも、生活保護の制度と関わることは多い。
寿でのボランティアを始めたころは福祉事務所なんて、みんな水際作戦で相談者を追い返すような敵だと思っていたが、相談者と一緒に相談窓口に同行したりしているうちに、そういうことだけではないことが分かってきた。福祉事務所の側と関係が築けてきて、お互いに顔の見える関係になってきたということも大きいと思う。
「就労につなげたい生保受給者がいるのだけれど、頑張れと言うだけでは人は動くわけがないのも分かっている。ケースワーカーと本人との関係だけでは、どうしても無理が出る。連携して一緒に進めて行ってほしい」というケースワーカーからの要請もよく来る。
基本的に、一人の人間を支えるには、一人が一生懸命抱え込むよりも、複数の人が関わっていったほうが良い。孤立した状態にある相談者の場合、一人の相談者と一人の援助者の関係では、援助者の判断や言うことが絶対と捉えてしまう場合も多い。着目点が異なる複数の目が入れば、立体的に本人を捉えられるし、一人の支援者と関係が崩れても、どこかしらの支援とつながっている限り、相談できる相手がいる状態になる。また、対人援助の仕事についている者も、人間である。一人の他人の人生を自分だけで抱えなければならないと考えると、責任は重い。対人援助職はバーンアウト(燃え尽き)により、病んでいく者も多い職業である。支援の進捗状況を共有しながら進めていったほうが、基本的には相談者も、援助者も守られていく場合が多い。
初回相談はケースワーカーにも同席してもらい、こちらとの関係を築いた上で、雑談も交えつつ、本人の人となりや生育歴を知るため面談を重ねていく。
そして相談者の状態に合わせて、就職活動の方法がうまく行っていないものの、やりたいことは決まっており、あと一押しで就労できそうな人であれば「求人検索機はすこぶる使いにくいものの、相談員の検索機ならばキーワード検索ができるし、自分にあった求人票を見つけておいてくれたり、仕事についての相談にのったり、応募書類の添削をしてくれますよ」と信頼できるハローワークの相談員のところに一緒に行って顔つなぎをしたり、少し動けそうではあるが、何がやりたいか、何に向いているか分からないという人には、相談室内のキャリアコンサルタントにGATB(一般職業適性検査)やVPI(職業興味検査)などを実施、結果分析とフィードバックをしてもらった上で、キャリアカウンセリングや面接練習、履歴書添削などをお願いしたり、現時点では一般就労は厳しそうだが、苦手なこと、得意なこと整理したうえで働いていけばまったく働けないわけではないという人、働いた経験がない・少ない人、働く自身を失った人には、地域で自分たちの手で仕事を起こしている事業所を持っている団体と連携し、「中間的就労」の実習につないでいく。実習10回ごとに、本人と事業所や連携団体、相談室の相談員が集い、実習について振り返りを行う。
民間と連携していくと「ハローワークに行け、頑張れ」というだけではなく、ハローワークの誰にどう相談すればいいか、頑張るためにはどんな準備が必要か、どんな頑張り方をすればいいか、頑張る、頑張らないの根性論ではなくて、何をやっていけばいいか考えていける。こうしたことに気づき、タッグを組んで動くケースワーカーも増えてきている。

5.「特性」と折り合いと葛藤
さて、水際作戦の話。
生活が困窮してきて混乱の真っ只中にいる相談者と、ケースを100件以上抱え、日々の業務に忙殺されるケースワーカー。すんなり噛み合うはずはない。
「水際作戦を許すな!」と叫ぶことは簡単だし、「左」派や「人権」派の人は水際作戦に対して問題意識を持っている人も多いと思うが、声を上げる人の中で、実際に福祉事務所での生活保護申請の現場に立ち会った人はそれだけいるだろうか。
なかには相談者を追い返す、底意地の悪いケースワーカーもたくさんいる。何の疑問も持たず、上司の命令に従って真面目に相談者に叱咤激励をして、結果的には追い返してしまう、真面目なケースワーカーもいる。しかし、フツーのケースワーカーも、良心的なケースワーカーももちろんいる。
福祉の専門知識がない一般職採用の職員を福祉事務所にケースワーカーとして配置している自治体が多いため、相談者の特性(障害や障害とまではいかなくとも、独特なコミュニケーションパターン、思考パターンを持っている場合も)や背景に思いを巡らせることが苦手、相談者の自立や生活向上のために使える他機関や制度など、担当する枠外の地域資源を知らない、学ぶ機会もないケースワーカーも存在する。
ちゃらんぽらんに生きてきた相談者もいる。平気でウソをつく相談者もいる。しかし、本気で自分の履歴を覚えていられない特性を持っている場合もあるし、ウソをついて切り抜けてきた、生き延びてきた人もいる。
攻撃的な相談者もいる。援助者としては励ましたつもりでも、丁寧に説明したつもりでも、説明全体ではなく、言葉の一部分のみが本人の認識として残り、机を蹴って帰ってしまう人もいる。言葉による認識が弱く、図解や文章にしないと理解が入りにくい人もいる。
真面目に生きてきた相談者もいる。真面目すぎて、自身の決めた「正しい」物事の基準から外れることを恐れ、自分の言った事が信じてもらえないかもと恐れ、困ってもまともに人に相談できず、黙って仕事場や前に生活保護を受けていた場所を飛び出し続け、記録を見る限りでは、「身勝手な」相談者として扱われる人もいる。

「生活保護申請権の侵害を許すな!」とスローガンだけ叫ぶことは簡単だが、たとえばアルコールやギャンブルのアディクション(依存症)を抱えている相談者、金を渡せばそのまま使ってしまい、大崩れすることが目に見えている相談者本人に金銭管理を委ねようと思えるか。施設入所を勧め、治療につなげていくことを勧めはしないか。しかし、対人関係構築が難しく、酒やギャンブルに走ってしまった人にとって、集団生活となる施設入所は厳しく、大崩れする場合も。相談者が望むまま聞き入れることが望ましいわけでもなく、一般的対応が好ましいわけでもない。どちらに転ぶか分からない状態の中で、方針を出さなければいけない。
こうしたいろいろな可能性を考え、相談者本人の思いも聞いて尊重しながら、葛藤の中で、支援方針を決めていく。支援方針通り行かないことも多々ある。最初は本人が嫌がる方針でも、後々に感謝される場合もある。

方針が異なれど、それは話し合ってすり合わせていけばいいわけで、違う立場の援助職の人とも連携していきたいという思いは強い。
しかし、水際作戦の実態が正直なところ、どうなっているのかが良く分からない。
かつては本当に非常にひどい対応が横行していた。しかし、近年、支援団体が付いていくとあからさまに相談を受ける気のない対応をされる機会は少なくなった。むしろ、先述のように、連携して相談者がよりよく暮らしていける方法を模索していくことのほうが多くなった。
しかし、生活保護申請の際、我々がついていっているときだけ役所が良い対応をしているだけなのか、単についていっていないときは話が噛み合わなくなって相談者本人の理解が追いつかず、追い返されたと感じてしまうことが多いだけなのか。生活保護バッシングともあいまって、水際作戦をされたという相談者の声も耳にする。前述のとおり、担当するケースワーカーの質も異なる。実態は分からない。

6.「若者」当事者として
水際作戦の例を出してみたが、この例が適当だったかは分からない。
関内夜回りのパトロールニュース(ビラ)に「今後の影響を考え、原発被爆労働に行かないように注意しましょう」と書いたら、野宿しているおっちゃんからすごい剣幕で「じゃあテメェらが仕事紹介してくれんのか!?原発だろうがなんだろうが、こっちは生きるのに必死なんだよ!ナメてんのか?」と怒られた話のほうが適切だったろうか。
とりあえず、現場の葛藤とかけ離れたところで、大きなスローガンが一人歩きしだしたりし始めると、話が空中戦になる。それは非常に危険であると言いたかった。かといって、分からないから何も言わない、というのも我々若い世代の流行ではあるが何か違うと思う。

我々若者は左右問わず、大きなスローガンにどこか冷めた目を向けることの多い世代であると思う。暮らしの保障されたジジババどもが空論を勇ましく語っても、それに同調する必要はない。我々は我々として、これからの時代を生き抜いていかなければならない。
折り合うこと、つながっていくこと、学び続けていくこと、声を発し続けていくこと。
「~せねばならない」より、「~したい」を大事にしていくこと。
楽しみながら、雑多に、寛容に、悩みながら、これからの時代をどーにか渡っていきましょう!!

※今回は文章では触れられなかった法政大学OBOG自主企画「自主乾杯祭」についてはhttp://jishukanpaisai.blog.fc2.com/をご覧ください。

革コン参加者への呼びかけ文1

革コン運営者の一人が当日資料用として作成した文章が、事前公開の許可を取れましたので公開します。
同じような感情を抱いている方、ぜひぜひ3月3日革コンにお越しください。


革コン参加者への呼び掛け


 本日ご参加頂いた方々へ。おおよそこういった集会に参加して頂いているあたり胸に何かしら抱いていることであると想像致します。本日はそういった普段表には出せないもやもやとした心境を吐露するとともに、お互いに共有することができたらと考えております。

わたくしについて

 まず僕についてほんの少しばかり言及させて頂くのであれば、党派には属してはいないものの、共産主義者であるということ。そして現組合員であるということです。しかしながら本稿については後者についてのみ述べていきたいと思います。
 僕は基本的に何をやっても駄目な男で、いくつか勤め先から解雇された経験があります。そして直近でいくと、昨年の11月、僕は突然解雇を言い渡されました。理由としては、上記の通り、僕の覚えの悪さと、売り言葉に買い言葉、ポロっと出てきた(特に言及する必要はない)一言で社長を怒らせてしまったことにあります。ここで一つ言わせて頂くと、「できない、使えない」という理由での解雇は基本的に不当です。ほとんど即日解雇のような形で何日かした後、僕は荷物をまとめておりました。ああ、みんなが仕事をしている中、身辺整理をするというあの屈辱。そういえば社長からクビを告げられた場所も客のたむろするドトールでありました。ギャラリーの視線が、痛かったですね。
 すでにその時、僕はもう、とある組合に参加していたので、これは戦ってみようかという話になりました。それまでには僕がクビになった時でも一度も戦ったことはありませんでしたが、ブルジョワの封建領主そのままである社長に向けて、石の一つでもぶつけてみたくなったというのが動機でありました。何せそれまでは、解雇を告げられた場合、ある時はなんだかよくわからない間に辞表を書くことになり、自分でも何が起こっているのかぼんやりとしてよくわからないまま職場を去ることもあったり、またある時は、2.3カ月分の手切れ金をもらって辞職したという経験もあります。あとはもう一つあるのですが正直くだらないので割愛させていただきます。
 結論から言いますと、今回の僕の争議では6カ月分占めて120万円を勝ち取りました。(ついでに言うのならば、組合費として20%控除されます)よって、96万円程度を勝ち取った次第であります。

獲得物と不毛さ
①獲得物
 大抵、解雇に関する解決策は大きく二分されます。

A金銭解決
 不当な解雇ということは勿論ながら、それ以外にも法令違反等も追及しながら団体交渉により解決金あるいは示談金等の名目で給料の2、3カ月分を会社側から支払ってもらう。
B職場復帰
 あまりケースとしては少ないのですが、本人が職場復帰を希望する際、団体交渉を通じ、企業側と話し合い、元の職場に戻るというものです。(なお、この際基本的には金銭解決のような解決金、示談金等は払われません。)

 僕の場合は前述のように金銭解決でありました。ちなみに僕の組合において不当解雇問題となると大抵の場合、金銭解決を望まれる方が多いです。
 まず前もって言っておくと、団交に参加していただいた方々、組合員の皆様には大変感謝している次第であります。しかし僕の中での帰結としては、果たしてこの、金銭解決という形が本当に最良であったのか?時間を置き、振り返ってみると、そんな想いに駆られるのでした。
 恐らくそんなにはいないとは思いますが、解雇通告を受けたことのある方々でしたらなんとなくわかるのではないかと思うのですが、解雇、この一言を突き付けられた瞬間、大抵は、文字通り、茫然自失の態になるかと思います。なぜ自分が?何が悪かったのか?そしてこれからどうなるのか?等々、様々な想いがぼんやりと頭の中を交錯することでしょう。つまり何を言いたいのかというと、解雇に直面した場合、パニックやプレッシャーで正常な判断力は鈍るということです。
 ついでに言及するのならば、一般的には、ここで争議をやろうなどと思う人はよほど意識が高い方でしょう。僕も含めてなのですが、実際そういった事態に陥った場合、少し間を置いた後考えることといったら、当然ながら次の職場を確保することに尽きます。会社を憎むより次の食いぶちを探しに職安にでも駆け込む気分になります。闘うことよりも、保身をまず考えてしまいます。つまり、労働組合に相談するよりも頭を切り替えて求職活動にいそしもう。恐らくほとんどの人がこう思うはずです。

②不毛
 最初にも申し上げました通り、僕の解決金はおおよそ120万円くらいに上ることになりました。解雇の中でもそれほど特殊でもなかった案件で、ここまで獲得できたということはなかなかのことでしょう。基本的な相場としては2カ月、3カ月分といったところが妥当な線ですからね。
 120万円をどうとらえるかは各人の思うところですが、しかし僕個人的なところでは、案件が解決しても不毛以外の何も残りはしませんでした。胸の中のもやもやは消えることはありませんでした。金額の多寡ではないのです。
 一つには雇用というものがあります。前職を辞してから3カ月が経とうとしていますが、いまだ僕の次の職場は決まってはいません。120万の貯金があるからどうということはないだろうと思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、金額の問題ではないのです。この度お集まりの皆様がたは、おおよそ学生さんが多いのではないかと思います。なので、いわゆる無職というものを経験した方というのは少ないのではないかと思います。結論から申し上げますと、無職になって楽しいのは最初の2週間くらいです。次にやってくるのは、生活の安定、次の職場が決まらないという焦燥感です。金額の多寡ではないのです。この焦燥感こそが、失業というものなのでしょう。
 それからもう一つ付け加えると、技能の習得という問題があります。先般の会社では僕にとって未経験業種でありました。僕はその業種において、これからのキャリアを考えていたところであり、今日においてもやはり、この業界でキャリアを積みたいと考えております。皆さんお分かりの通り、現状においては再就職というものはこの不況の中とても厳しいです。しかも経験のないものが新しい業種・職種に就くこと、これはとても難しいことです。もうすっかり人間関係の破綻した僕の職場で、最終的には金を掴むか、キャリアを選ぶか、この選択を迫られたわけですが、しかし考えてみると、我々の生きる現代社会のシステムとは、なんとナンセンスでそして不毛であるでしょうか・・・。
 次にもう一つ、僕個人、プロレタリアート(労働者)としてどうかという問題です。僕は解決金という一時しのぎに逃げず、現職復帰として当該の会社の中でやっていくというのが正答だったのではないかと、常にもやもやした胸の内で感じます。勿論ぎくしゃくした中で日々を過ごさねばなりません。けれどもそういった枠の中で生きていくことが、一つの戦いであって、今日の資本主義に対峙する我々が取るべき生き方だったのではないかと思うのです。

プロフィール

全国学費奨学金問題対策委員会

Author:全国学費奨学金問題対策委員会
7月14日(日)にデモを行うに当たり、ゆとり全共闘のブログを一時的にジャック!!
高い学費、借金でしかない奨学金に抗議をし、するために7月14日(日)にデモを行います。
学費無償化、給付制奨学金の実現に一声あげましょう。

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