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ゆとり全共闘総括文章(菅谷)

ゆとり全共闘が今年度を持っての終了情勢が強まってきていること、僕が今年度で卒業してしまうことを受けて、ゆとり全共闘機関紙用(近日発行予定みたいです)に総括文章を書きました。その内容を公開します。



ゆとり全共闘総括文
文責 法政大学4年(6年) 菅谷圭祐


【前置きと断り】
 僕にとってゆとり全共闘について記すことは難しい。
 普段僕はよく口がまわる方であり、パソコンのキーボードも軽快に叩ける方なのだけど、ゆとり全共闘について今このときに何か書くということは多少の戸惑いがある。誰かを傷つけてしまうのではないだろうか、まだ記してはいけない事柄があるのではないだろうか、そもそも僕にゆとり全共闘を総括する能力や資格があるのだろうか、と様々な感情や戸惑いが脳裏をよぎる。しかし最大の理由は別のところにある。

僕がゆとり全共闘を総括すればゆとり全共闘は終ってしまうのではないか

 今の僕にとってはこの気持ちが一番強い。
 ゆとり全共闘の性質上、明確な活動期間を定めることはできないが、大まかにまとめるならば「第一回ゆとり首脳会談」2012年9月~2013年3月までとまとめることが出来ると思う(以降ももしも続いていくならば、続いていってほしいが)。
 青臭い言葉になるが、この期間というのは僕にとって間違いなく青春であった。友情と裏切り、覚悟と挫折、高揚と消沈、恋と失恋、さまざまな経験をした。そのためこの期間を総括するということは僕にとっては苦しいことであり、難しいことであり、寂しいことである。

 しかし、その上で、僕は総括文章を記そうと思う。

 いつかはきちんと総括しなければならないし、いつやるかと問われればタイミングとしては、まだ学生運動業界で多少なりとも僕のこと、僕の文章を見てくれる学生がいる「今」が最も良いのではないかというのがその理由である。
 そのため、この文章は共に活動した友人や同志に向けてだけでなく、まだ見ぬ、もしくはすでに知っている学生運動を志す後輩を思って書く。あるいはそういった面の方が強くなるのかもしれない。この、どこに向けて文章を書くかという事は地味に重要なことである。隣にいる人に対して脈絡もなく悪口を畳み掛ける人はなかなかいないが、その場にいない人の悪口を言うという人は古今東西、老若男女、右翼左翼問わずにそれなりの人数いるのではないかと思う。だから、僕のこの文章での視点により、既知の知り合いの中には傷ついて泣いちゃう人もいるかもしれない。
 しかし、僕は人格的なところにおいては僕はゆとり全共闘の活動期間に関係を持ったすべての人に対して(当然程度の差はあれ)好意を抱き、信頼を寄せている。僕の文章が仮に不快であったからといって、菅谷家に火をつけたり、包丁で背後から刺したりということはなく、きちんと言論によって対話が形成されることを信じている。そのため、僕の文章に対して批判がある場合はきちんと受けることを約束する。

 以上の前置きと断りを記した上で、総括文を始めたい。

【そもそもゆとり全共闘とは】
 客観的に見たときに、ゆとり全共闘は学生運動が「昭和の遺物」などと揶揄される絶望感漂う21世紀の日本において、非常によく健闘したのではないかと思う。いくつかその成果物を記す。
 野田首相(当時)の早稲田での講演会に対する抗議活動が朝日新聞にその名前が掲載され(2012年7月23日)、約半世紀の歴史を持つ情況誌において「学生運動の現在」(2012年9-10月号)という特集を大幅なページを割いて組んでいただいた。さらには渋谷アップリンク『青の映画祭~ゆとり世代は止まらない!~』(2013年8月14日)にてゆとり全共闘を扱ったドキュメンタリーの上映、大阪府立大学での「これからのキャンパスの話をしよう」(2013年2月11日)というフォーラムへの招待、イベントスペース・ネイキッドロフトへは組織レベルで東日本復興構想会議(2012年11月20日)というイベントで1度、個人レベルでは複数回に渡って登壇させていただいた。以上のような注目を約1年半の活動期間の中で浴びた。
 
 では、そのゆとり全共闘とは一体何であったのだろうか。

 ゆとり全共闘については早大の杉本君が「誰かの所有物でも固定組織」でもなく「行為の積み重ねによるモンタージュ」と説明しており(ゆとり全共闘ブログ)、僕もこの説明が適切だと思う。SNS上あるいは個別の連絡網などで闘争やイベントの情報を共有し、個々人で行きたい人がそれぞれの現場に向かう、そしてその行動を発信して拡大する、大まかに説明するとこのような仕組み及びそこに関わる人を便宜的に「ゆとり全共闘」と呼べるのではないかと思う。

 そのため、ゆとり全共闘は厳密には組織ではなく、誰かが代表であったりということもない。しかし、人が仕組みを作り人が行動している以上は、その仕組みに意思を込めて大まかな方向性や雰囲気を定めることはできる。僕は意識的にゆとり全共闘に対して大きく二つの意思を込めようとした。多少長くなるけれど、説明を記したいと思う。

 一点目としては、逮捕・処分覚悟あるいは人生をかける覚悟での決起か嫌々ながら就活したり学内規制に従うという100か0しかない学生の状態に1~99の幅を作ることを考えた。行動の中には「学生運動ごっこ」と批判されるものもあったけれど、個人的にはゆとり全共闘はむしろそういうものとしても存在させたかった。学生運動というものは、覚悟前提であったり、思想的バックボーンがないと、認められないもしくは必要以上に批判されるという伝統芸能的な厳しい面も併せ持っている。これは過去は良かったのかもしれないが、現代の状況を考えるとあまり適していないのではないかと思う。この点を多少なりとも変化させることを考えた。

 二点目としては、今現在大学にある問題をきちんと問題として浮かびあがらせるということを考えていた。多くの学生が問題意識を抱いてから何かしらの行動に至らないのは、0か100かしかないという選択肢の少なさだけでなく、環境的な問題もあると考えていた。その環境的な問題を大まかに分類すると、学費・就活・学内規制の3点になる。
 このなかで就活の問題は就活デモによって社会的に認知されていたが、学費や学内規制という問題は広く認知されているとは言えず、この3点の問題を連結したものとして総合的に表出されることを意識した。

 キャンパスに学生運動の幅を広げること、大学の問題をきちんと問題として表出させること、僕はゆとり全共闘においてこの二点を目標とした。しかし、この二点の目標は一年半を経た今目標が達成されたかというと全くそうは言えない。この点において僕は明確に戦犯であり、誰に何を言われようと仕方がない身であると思っている。どこで誰に批判されようが、ネガキャンされようが、甘んじてそれを受け止めなければならない。

 しかし戦犯であれ、口を閉ざすよりも、何があったのかを記す方が社会に寄与する面は大きいと僕は思う。以下に「何が良くなかったのか」、その思うところを記したい。


【今日における学生運動の困難性】
 僕がゆとり全共闘の最も大きな功績だと思う点は、今日における学生運動の困難性の程度とその内容を明らかにしたことであると思う。このことは悲観すべきことではあれ、絶望すべきことではないと思う。一体どの程度困難なのか、どの点が困難にしているのか、困難の中身と難易度を知ることは、非常に重要なことであるように思う。

 今日における学生運動の困難性、その最たる理由は時間と空間の大きな制約にある。大学生の空間と時間はこの数十年において、悪い方向へと怒涛の進化を遂げ、今なお破竹の勢いで進行している。

 まず大学内における学生自主管理の空間は、多くの首都圏大学において過去のものとなった。特に過去に学生運動が盛んであった大学においては、まるで狙い撃ちされたかのように(恐らくそうなのだろう)、根こそぎ地球上から姿を消した。非常に上手い言葉だと思いたびたび引用させてもらっているのだが、この大学の変化を前述の早大インテリ闘士の杉本君は「大学が広場から通路になった」と評している。24時間大学にいることができるなんて遥か昔、大学によって差はあるが、たまり場的なスペースは縮小、講義中以外は教室は施錠、立て看板・ビラ貼りは大学当局に許可されたもののみという、想像以上の誰かに出会い、何かを知り、友達になる、こういったことは非常に困難なこととなった。トイレの個室でランチを食す「便所飯」という行為に「大学生」という単語を加えた「大学生 便所飯」というキーワードがグーグルにて約 144,000 件ヒットするというなかなかに世紀末な状況に大学はある。
 友達も知り合いも大きく限定される以上、学内に学生共通の「敵」は現れにくく、仮に現れたとしても共に戦う同志がいないし、集める術も限られている。自分の足場である大学がこのような状況なのだから、まして社会で運動するなど何をか言わんやなのである。

 
 二点目の時間についてであるが、こちらはさらにわかりやすい。
 キャンパスでは秋を過ぎるころにはスーツ姿の学生を目にする機会が大幅に増える。「就職が決まって髪を切ってきたときもう若くないさと君に言い訳したね」(いちご白書をもう一度)なんていうのは遥か昔、今日においては大学3年の秋からスーツをビシッと決めて人によっては永遠に終ることがないのではないかと思われる就活に決起することとなる。この状況にさらに国立大学で年間約60万円、私立大学では100万円という異常なまでに高騰された学費が重くのしかかる。そしてこのぼったくりのような学費を詐欺のような奨学金(実質、借金)によって支払っている学生は非常に多い。高額な学費及び借金返済のため、4年以上大学に留まること、内定先が見つからないことは比喩でも何でもなく死を想起させさえする状況となっている。

 以上のように多くの学生にとっては、キャンパスで浮くことが予想され、見返りも期待できず、むしろ就活において不利益にしかならないように思われる学生運動という選択肢はありえない罰ゲームのようなものとなっている。白衣にヘルメットをかぶっているような余裕はないのである。

 このような状況下において、僕(僕たち)が目標達成のために仮にすべてベストな行動・発言を選択していたとしてもハッピーエンドの大団円ということは無理だったのではないかと回顧する。南国に雪が降らないように、ネコが日本語を話せないように、人が空を飛べないように、我々のミッションというのはあるいは困難の極みであったのかもしれない。端的な実感としては首都圏の大学という空間において既存セクト以外で学生運動を行うある程度の規模の集団をゼロから作り上げることは相当に難しいのではないかと思う。就活に見向きもせず運動に向かい、自前でたまり場を用意でき、同志を集められる思想性・発信力・コミュ力があり、学費を払える経済力を持ち、大多数の学生から向けられる白い目に耐えられる、こんな即戦力な人間がはたしているだろうか。そして、そんな即戦力な人間が学生運動という選択をするだろうか。

 以上困難の内容とその程度を記したが、これからも大学は続いていくし、学生運動も続いていく(あるいは学生という枠組みではなくなっていくかもしれないが、いずれにしても続いていかなければいけない)。問題意識を持つすべての人がどこかのセクトに結集できればそれで良いのだろうけれど、恐らくはそんなことはできない。それに既存セクト以外で大学において運動の勃発がないという状況は既存セクトの観点からも中・長期的な利益はあまりないのではないかと思う。
 ここから先は、惨憺たる暗闇に光が照らされるためのひとつの試みとして、私の経験と反省と総括を記そうと思う。


【僕の視点からのゆとり全共闘における重要局面の選択】
 僕がゆとり全共闘のあり方に大きく影響を与えたと思う出来事が3つある。後にこの3点についてそれぞれ記していくが、そのいずれもゆとり全共闘のコミュニティ団体性と闘争団体性を問題としている。僕個人の意見を先に記しておくと、ゆとり全共闘はコミュニティ体の要素もあるが最終的には闘争体でなければならないという考えを持っており、またそうでなければやっていること全てが嘘になってしまうとさえ思っていた。それぞれ一つずつ記していきたい。

①たまり場の消失(2012年3月)
 2011年度ゆとり全共闘の最盛期「根拠のない勢いと日々仲間が増えていく躍動感」のある日々おいてたまり場的に使用されていたのが菅谷家、つまり僕の家と、僕が週に一度マスターを勤めさせて頂いていた某フリースペースである。数年前までならば活動の場所は大学内に保障されていたのであろうが、学生自治・学生会館の崩壊がそれを困難なこととした。その結果、当然の帰結としてたまり場は学外に移動しなければならないこととなり、幸か不幸か僕の自宅と僕が手伝っていたフリースペースがその場所となっていた。

 2012年2月末、僕はその二つのたまり場を手放す決意をした。
 そのころ僕は2011年度を持って学生運動から離れるつもりでいたし(後2012年6月復帰)、たまり場くらい残ったメンバーで見つけてほしいと思っていた。ここで僕は、「たまり場くらい」と記したが当時の僕はたまり場をそれほど重要なものだとは思っていなかった。我々は、ダベって、お酒を飲んで暴れるために集っているわけではない。たまり場はなければなくてもいい、そのくらいの認識だった。それにもしも必要だと思ったなら、たまり場くらい現役のメンバーで安いアパートを賃貸するなりして作ればいいと思っていた。
 また感情的な理由として、そのころの僕はそれなりに疲れていた部分があったのだと思う。家に帰れば誰かがいる状態というのは楽しくもあり、歓迎している面もあった。むしろ歓迎している面の方が大きかった。しかし人間である以上毎日楽しい気持ちでそれを迎えられるわけではないし、疲れて帰ったときには出来れば会いたくないなというハイテンションボーイ&ガールもいる。そのため、一度人間関係を落ち着かせたいという感情が僕の選択に影響を与えた。
 たまり場を消失した結果として、共に活動していたメンバーに会う機会は激減した。これは僕が特別嫌われているのではない限り、当時の周辺人物全員に同じことが当てはまるのではないかと思う。多くの20代前半の若者が使命感や義憤で動けるわけではない。何となく何気ない時間を共に積み重ねること、こういった時間が非常に重要なこともある。そこで友情や信頼関係が構築される。そしてその友情や信頼関係が行動の土台となることは多い。たまり場の消失は、それまでの人間関係の維持及び発生のあり方を根源から変えることとなった。

②メンバーの逮捕とそれに対する対応(2012年4月~5月)
 2011年4月19日法政大学で行われていたデモに参加していたメンバーが公務執行妨害の容疑で逮捕された(後に不起訴)。当時僕は学生運動からの引退を宣言していたのだけれど、この緊急事態に対応するために救援活動に加わることを逮捕の報が届くと共に決断した。そして、それと同時にこの救援活動が非常に困難なものになることを覚悟した。
 それまでのゆとり全共闘の活動は前述の通り1~99を埋めるもので、権力の脅威を感じるような活動はそれまでにあまり多くなかった。しかし、知っている人は知っていると思うが、法大闘争というのは法政大学文化連盟(以下文連)及び中核派系全学連(以下全学連)を先頭にゆとり全共闘の500倍くらいの弾圧の中で戦っていた。そのため救援活動においても普段の活動の500倍くらいの負荷がかかることが予想された。

 救援活動を行う以前には恐らく選択肢は二つあった。

 一つはそれまでの法大弾圧での逮捕(118名が逮捕されている)と同様に文連・全学連と共に救援活動を行うこと。二点目としてはゆとり全共闘として独自に救援活動を行うことだった。
 結論から言うと、僕(僕たち)は前者の選択肢を取った。その選択の僕個人の理由を示すとその方が闘争が前進するだろうという判断が働いた。僕は明確にゆとり全共闘というコミュニティを守ることよりも闘争の前進を選択した。

 文連・全学連と共同の救援活動では公安からの尾行が日常茶飯事であり、これは多くの人にとって異次元の領域であった。そのためなのかどうなのか、僕(僕たち)の選択は仲間内からも批判・非難されることとなった。その主な内容は「ノンセクト(ゆとり全共闘)だけで救援活動を行うべきだ」というものだった。上述の通り、文連・全学連と共同での救援活動はそのほうが闘争が前進するという判断のものだった。そのため、もしもゆとり全共闘だけで救援を行ってそれで闘争が前進するならば、僕は迷わずにそちらを選んでいた。しかし、その方法を取らなかったのは、ゆとり全共闘だけで救援活動を行うという案が僕には現実味のないものにしか見えなかったからである。「弁護士はどうするのか」「費用はどうするのか」「仮にゆとり全共闘だけで救援を行う場合、文連・全学連にはどのように説明するのか」「それは今の救援体制よりも効果的なものなのか」……。こういった現実的に浮かび上がる諸問題に対して明確な答えを用意できた人は誰もいなかった。

 もしも、ゆとり全共闘を完全なるコミュニティ体として捉えた場合はゆとり全共闘のみで救援活動を行うべきだったのだと思う。すでに取調べが始まっている状況下において見つかる確証のない弁護士を見つけるために日々を費やし、弾圧の届かないネット上のみで怒りを表明してと、そういったやり方をすべきだったのだと思う。でも、僕はそのような方法を取ることは出来なかった。僕はゆとり全共闘の活動は学生運動ごっこ遊びまで活動の範囲に含まれるべきだと思っていたが、ごっこ遊びで済ませてはならない局面もある。友人が権力によって逮捕されたときにまで、ごっこ遊びで済ませる、そんな団体であるべきではない。正確に言うならば、僕はそんな団体にいる自分を看過できない。そして、逮捕されてしまった同志に対してそんな態度をとることはもうできない。コミュニティとしての要素が仮に激減しようが、矛を捨て盾を取るというようなことは絶対にすべきではないと思った。

 ①のコミュニティとして絶対条件である物理的空間、そして②での重要局面における闘争の選択、この二つにより2012年度のゆとり全共闘は2011年度のゆとり全共闘とは赴きの違うものになっていく大きな要因となったのではないかと思う。

③法大闘争での選択(2012年10月)
 時は流れて2012年10月。このときにも僕は忘れられない選択を一つした。
 このころのゆとり全共闘は昨年度には確かにあった「根拠のない勢いと日々仲間が増えていく躍動感」はなくなっていた。そして、2012年度を持って大学の横の連携を持って大学の問題を浮かび上がらせていくという任務を遂行しようとする者はいなくなり、ゆとり全共闘は終了するだろうという予測を僕は立てていた。

 そして運命というのは不思議なもので、2006年以降前述の文連・全学連によって継続されてきた法大闘争が時同じくして大きな盛り上がりを見せており10月19日に大規模な集会・デモを呼びかけていた。
 ゆとり全共闘系ノンセクトは、(闘争団体としては)来年以降しぼんでいくであろう事は目に見えており、首都圏あるいは日本において最大規模の激突地点である法政大学は盛り上がりを見せている。ここで、このタイミングで、勝負をしかけなければならないと思った。2012年10月19日この日に2010年代前半最大の闘争を生み出し、未来に向けて希望をつながなければならないと思った。

 ここで一点断りを入れておくと、この時代において僕の母校である法政大学が大きな闘争地となっており、そのことにより僕は並々ならぬ感情移入はしているが、そのことが10・19の決起の理由にはならない。仮に母校でなく敵対校(そんなところはないけれど)であろうと、闘争を主として担っているのが中核派であろうと革マル派であろうとノンセクトであろうと、結集を呼びかけていたならば同じようにその呼びかけに応じ、出来る限り身体を張って戦っていたと思う。僕は闘争の場が僕の母校でかつ、ある程度の知り合いである文連・全学連が闘争主体だからという心情的・出自的理由でゆとり全共闘に結集を呼びかけたのではなく、客観的判断として法政大学での10・19闘争がここ数年における最大の勝負どころであると判断したから呼びかけた。

 以上のような理由から僕は10・19で決起する決意をし、それまでの期間共に活動してきたゆとり全共闘界隈の仲間に理由を説明し、結集するように促した。そして、このときの反応は大きく二つに分かれた。
 一つが主意を理解し、共に結集してくれるという人。どこまでリスクを冒せるかは人それぞれであったが、とにかく法政大学にその日その時間に身を置いてくれるという人である。そして二つ目が、10・19自体に結集しない、参加しないという人である。

 繊細な問題なので、再度断りを挟んでおくと、僕は10・19に結集する、しないはあくまで個々人の自由であり、そのことについてどうこう言うつもりはない。僕はそれまで再三1~99の幅をと口を酸っぱくして言っていたわけで、ここで結集しなかったからといってそれをどうこう言うのは詐欺のような話である。その上で僕が指摘したいのは先にも記しているように、ゆとり全共闘の闘争団体性とコミュニティ団体性についてである。

 断りを挟んだ上で文章を続ける。
 10・19に結集しないという選択をした人の中には、「10・19に行かない方がいい」と僕に対して結集を止めるように頼む声もいくつかあった。その理由を聞くと「菅谷さんが逮捕されたらノンセクトが壊滅してしまう」「ゆとり全共闘が中核派と同じように見られてしまう」というものが主だった。
 この指摘に対して僕は違和感があった。
 そもそも僕はノンセクト(ゆとり全共闘)はいつなくなってもいいと思っていた。ゆとり全共闘の維持を一番の目的に置いたことは一度もないと断言できる。コミュニティの維持よりも重要なことが我々個々人の中にはあるのだと思っていた。また中核派のように見られるということも、進んでそれを選択すべきではないが、究極的にはどうでもいいことだと思っていた。仮に僕の動きが中核派のように見られ、それが嫌だというならば別のところで中核派的ではない闘争(学生運動ごっこ)をすることで緩和させればいい。ゆとり全共闘があくまで組織ではない以上、組織としてどう見られるかは重要ではなく、個人としてきちんと立っていればいいのではないかと思っていた。僕たちは組織として戦っているのではないし、集団を維持や拡大は目的ではないと、そう思っていた。

 ゆとり全共闘と呼ばれるものの闘争性とコミュニティ性のバランス、この点は明確に個々人の中で違いがあったのではないかと思う。


【3点の選択から見える分析】
 2012年度になぜ2011年度のような「根拠のない勢いと日々仲間が増えていく躍動感」がなくなってしまったのかを考えると、それは2012年度が2011年度よりもコミュニティ性が弱くなり、闘争性が強まったからなのではないかと思う。物理的空間が消滅し、闘争に対して上昇志向を持っているメンバーは一つ上の段階を目指したり、巻き込まれたりした。このことにより2011年度にあったコミュニティ性と闘争性の絶妙で不安定なバランスが崩れてしまった。もちろん、他にもいくつかの要素は考えられる。しかし、僕がここまで論じてきたのはゆとり全共闘の終了についてである。衰退や縮小の理由や原因は他にさらに大きな原因となったものはあるだろうが、終了についてはこの事が最大の原因になるのではないかと思う。

 では、ゆとり全共闘は2011年度と同じバランスを(仮に保てたとして)保ち続ければよかったのかというと、僕はそうは思わない。

 それは、楽しく、適度な刺激を受けることができ、ワンピース的な仲間!も感じられる素晴らしいキャンパスライフかもしれない。しかし、同志が逮捕されたとき、重要な闘争局面だと判断したとき、そういったときには立ち上がらなければならない。もちろん関わっている人全員が覚悟を決める必要はない。しかし、全員がそういった局面で決起しないというのは絶対に間違っている。何度も1~99の幅をと記してきたが全員が40までしか出せない集団ではなく、局面においては99(あるいは100)を出せるのに40のことをやっているというのがあるべき姿なのではないかと思う。やるときにはやる、牙を剥くときには剥く、そうでなくては本当にただの学生運動ごっこになってしまう。普段、ウンコチンチン言ってようが、ヘラヘラニコニコしていようが、崇高な共産主義思想を話していようが、最終的に重要なのはこの一点なのではないかと思う。
 そのため僕個人としてはどのタイミングで同志が逮捕されようとも、闘争にとってベストだと思われる救援活動をしていた(これからもする)だろうし、10月だろうが1月だろう6月だろうが、ここは重要局面だと判断したならば逮捕覚悟で決起した(これからもする)と思う。それに、そうしなければならないと思う。これは僕の経験から言っても本当に難しいことであることは十分に理解している。また自分が元々弱い人間であり、今でもチキンであるため過剰にこういった考えを抱いたり、日々鍛えようとしている面もあるのかもしれない。しかし、学生運動を志す以上、心地よい空間でヌクヌクとしているのではなく、一歩ずつ少しずつでも「やるときはやる」という方向に心と身体の準備を進めなければならないと思う。

【バランスの瓦解における僕の能力不足】
 以上、三点の出来事から僕が感じた内部での闘争性とコミュニティ性の揺れを記した。読み返してみて、多少突き放しているような冷たい内容になってしまったようにも見えるため、その点が多少心苦しい。しかし、繰り返しになるが僕が上記で表したかったのは個別誰々がどうだという感情的な話ではなく分析である。先にも記したように僕はゆとり全共闘というプロジェクトにおいて戦犯であると思っている。個別誰々に対してどうこうという感情は僕も人間なのでもちろんあるものの、冷静に考えたときに僕の方が悪いという結論を持っている。

 そして、その原因はかなりの割合で僕の人間性と能力の不足によるものであると思う。

 ゆとり全共闘について僕は1~99の学生運動をという気持ちのもと、関わりを持つ人をその1~99の範囲で認識していることが多かった。サッカー部がサッカーをするように、ゆとり全共闘に来る人は少なからず学生運動をしたいんだろうなと思っていた。しかし、ゆとり全共闘はサッカー部とは違ったものであった。関わる人の中には闘争をしない人、人間関係のつながりが好きいう人もいたはずである。しかし、僕は自分の前提を疑うということはほとんどすることがなかった。認識の違いに気づくのが遅かったこと、認識を疑わなかったことは非常に悪いことであったと思う。もっと一人ひとりが何を考え、何を思っているのかを話すべきであった。僕はこの点について非常に深く反省している。

 また僕は、「自分ができるんだから他の人もできるだろう」「自分が耐えられるんだから他の人も耐えられるだろう」「自分が大学○年のときはこうだったから、それと同学年の人は同じくらいのことはできるだろう」と自分の能力中心で考え、僕以上はあっても僕以下はないだろうと考えている期間が非常に長かった。青森県の過疎地でキチガイ扱いされながら育ち、工業高校で成績不良のため三年間一番前の席に固定、お先真っ暗の法政大学哲学科と常に落ちこぼれてきた個人史のもと、みんなはもっと賢くて優秀なんだろうと思っているふしがあった。
 このような僕の認識の狭さは性格の面においても当てはまる。僕が多感な時期を過ごした工業高校のオラオラガテン系と法政大学の低偏差値パッション系は親和性が高く、その人生経験から人間は大体こんな感じなのだろうと想定していた範囲のようなものが僕の中にあった。しかし、その想定を超える人格の持ち主にゆとり全共闘以降たくさん出会った。世の中には本当に多種多様な思惑や思想や感情が渦巻いているということを僕は理解できていなかった。この点も非常に深く反省している。
 
 ゆとり全共闘に関わる人を闘争前提で考えていたこと、僕の人間の認識の幅が非常に狭く自己中心的であったこと、この二点の姿勢は非常に過っていたものであった。この二つの点において、僕は非常に申し訳ない要求や態度をしていたことが多々あったはずである。この点を僕は人生を通して考え続けなければならないと思う。
 

【最後に】
 以上、簡単にまとめてしまうと「闘争性とコミュニティ性のバランスは難しい」という20文字で収まることであるが、この問題というのはよほど良い環境でない限り自前で空間を作らなければならない現在の首都圏においてはそれなりに重要な位置を占めるのではないかと思う。選択肢が多様にあり、合わなかったら別の場所を選べるような環境であるならば、このような問題は意味を成さないのだろうが、残念ながら現状の学生運動は新規参入のほとんどない伝統芸能である。自分で選択肢を作っていくしかない。少数精鋭で闘争するのか、内部で固まるためのコミュニティ体を作るのか、不安定なバランスで試みるのか、どれが正解ということはないと思うがよく考えた方がよいと思う。

 僕自身の今後及び大学問題との関わり方について記しておこうと思う。

 僕は自分が活動家であると思ったことはあまりなく、「大好きな大学で悪いやつが好き勝手暴れている」から闘争しているということがそもそもの動機であった。戦う理由を感情に置くことは今も変わっていない。そのため大学以後に、労働運動だ反原発運動だとすぐに次の運動をする予定は今のところない。必要が生じたらやるし、そのためにいつでも何かあったら動けるように主体的に生きていく準備とその向上を日々進めていこうと思う。
 学生運動に関して「青春の一ページ」「あの頃は若かった」と片付けるつもりは一切ない。僕は自分の言動に対して反省こそ多々あれ後悔はほとんどない(少しはある)。これからも反省は増えることはあっても後悔は増えないと思っている。そのため、自分の中で学生運動を過去のものとして関わりを一切断つのではなく、学生運動という枠組みにおいて全体が良くなっていくような選択を取っていきたい。世代的使命として学生会館など自治空間解体以降(04年以降)、運動の蓄積はほぼ消滅したという認識なので、もしも後輩が望むものがあるならば人的、物質的、心的、その他諸々の出来る限り支援をしていきたいし、必要とされるならば可能な範囲で現場にも向かうことで新しい蓄積の一助となりたい(指導に関しても望まれるならするけれど、これは僕以外の人に頼んだほうが絶対にいいと思う)。


 最後に、大学生活の六年間で、多くの人に助けられ、支援され、迷惑をかけ、ここまで導いてもらったことに最大限の感謝を示したい。僕は、学生運動家として全く出来の良い人間ではないと深い自覚をもっていて、そんな僕がこんなにも楽しくて苦しくて幸せな日々を送れたのは大学六年間で関わった全ての人のおかげだと思っている。言葉にするのは難しいけれど、全ての人に深く深く感謝している。本当に本当にありがとうございました。
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【転載】ゆとり全共闘批判~「能無し活動家」が自分の存在を安定させるための共同体としてのゆとり全共闘~

宮内春樹氏のゆとり全共闘批判について転載許可が取れましたので、本ブログでも掲載いたします。



ゆとり全共闘批判 宮内春樹
~「能無し活動家」が自分の存在を安定させるための共同体としてのゆとり全共闘~

1.批判者たる私の立場性について

 批判文を寄稿するにあたり、まず簡単に自己紹介することから始めよう。この文章を読んでいるもので私の名前を知らないものはいないと自負しているので、私と「ゆとり全共闘」との関連を紹介することが、自己紹介にあたるだろう。
 私は新左翼活動家であった両親の影響を受け、入学以前から大学に入ったら左翼活動に身を投じようと決意していた。しかし諸般の事情により両親のつてを使うことが憚られたために、「どのように左翼活動をしてよいかわからない」という問題が生じた。ちょうど大学二年になろうという春、縁あって白石らと知り合い、それ以来一年ほどにわたって、「ゆとり全共闘」の”幹部”として、”組織”の中枢を担ってきた。(このように書くと、ゆとり全共闘闘志諸君から批判があることは請合いだろうが、客観的合理的にみて、多くの大局的判断を下してきたのは私であり、多くの実務的問題を解決してきたのも私であった。事実私が”抜けた”後のゆとり全共闘は壊滅状態にあり、「戻ってきてくれ」という慰留を多方面から再三受けている。)私は、大学の規制強化問題などゆとり全共闘が扱う「社会問題」にはさほど興味・共感を覚えなかったが、それをすることが「革命」の助けになるはずだと、半ば自分に暗示をかけながら、活動を担ってきた。
 サマライズするならば、私は真面目な「社会運動家」志望の青年であったが、運悪く不真面目な「社会運動体」にコミットすることになり、これまた運悪く組織の中枢を担うことになってしまった一大学生、ということであり、これが私と「ゆとり全共闘」との関係である。

2.「無能」を肯定する論理を構築する共同体
 活動家を活動家たらしめる唯一絶対の意識は「生きにくい世界を変えたい」ということである。そしてその意識が、具体的行動という形であらわされるまでに高揚した人物のことを、一般に活動家と呼ぶ。しかしゆとり全共闘闘志諸君は、何よりもまず、世界を変えようとする意識に乏しい。より正確にいえば、その無能さゆえに「世界をより良くする」ことができないため、自分たちはそんなことは志向していないかのように振る舞い、それを肯定する論理を構築し、強固にそれを信じ込んでいる。ゆとり全共闘でなされる活動の半分は「ふざけた活動」であり、もう半分の真面目な部分は「自分たちの無能さを肯定するための論理構築」である、といいきっても過言ではない。
 具体的に示そう。
 ゆとり全共闘は2012年3月に、主として就活・学費・学内規制の問題を訴える「大学取り戻せデモ」を行った。私はその問題意識にはいたく共感していたが、助力することはしなかった。なぜなら、彼らには「就活・学費・学内規制の問題を解決しよう」という現実的意識が一切ないことを私はこれ以上なく知っていたからである。
 具体的問題を解決するための手段としての「デモ」が持つ唯一の価値は話題性である。広く議論を引き起こし、確かにこれは変えなければならないと思わせることこそ、デモの価値である。そのためデモは、話題性こそすべてなのである。そのデモ一週間前、情宣で一番大切な時期に、彼らは「勉強会」と称して市民会館で会合を行っていた。放送をしていたものの、視聴者数は10か15ほどであったと記憶している。
 私はなぜあの時期に勉強会なんだと責任者に問うた。その答えは「やっていることが重要」「自分たちの中の論理が構築できないことにはデモはできない」などという、極めて稚拙なものであった。
 この例が特殊なのではない。彼らはいつでもこうなのである。問題を解決するための戦略を立てよう、という意思がまるでない。いや、放送を入れたところを見るに、多少はあるのだろう。しかしそれが戦略として妥当か否かを問うことができない。しようとしない。なぜなら、世界をよりよくしようという意識がまるでないからである。いや、ないのではなく、無能だから具体的プロセスを想像できず、結果「デモひとつするのが限界」という状態になるのだ。
 このような事務能力・管理能力の不足は、どのような言い訳をしても、端的に無能なのである。しかし彼らは、自分が無能だということを認めない。そして、自分は無能でないという論理を紡ぎだすのが非常にうまい。すなわち自己批判の精神がまったくない。私がこれだけ書いても、彼らは「まさに自分が批判されているのだ」という意識を持たないだろう。これは単に社会不適合者であるというだけの話である。念のためいえば、この批判に当てはまらないゆとり全共闘闘志は、私のほか1名だけである。(君ではないぞ、ゆめゆめ自分かも知れないなどと思うなよ。)
 サマライズするとゆとり全共闘闘志は端的に無能であり、およそ社会変革など期待してはいけない、ということである。またゆとり全共闘闘志諸君には、自分の無能さを「アナーキー」であることと混同しないでほしい。無能を自覚しない無能ほど面倒で不幸な存在も珍しいからである。

3.「社会不適合者」の受け皿としてのゆとり全共闘
 さて「悪口」を書き始めると止まらなくなりそうなので切り上げることにして、ゆとり全共闘のあるべき姿―おそらくそうなっていくであろう私の予測だが―を示す。
 ゆとり全共闘闘志諸君に、何か社会変革を期待することは、私はもう諦めた。そして事実、そうなることはないだろう。
 ゆとり全共闘は、単なる左翼趣味を持ったサークルになっていく。そして、それでいい。いまのつらい世の中、左翼趣味を持った学生は増えていくだろう。そしてそのうちの多くは、セクトの「厳しさ」についていけない無能であろう。そんな人たちが集まって、学生運動のまねごとをして満足する。ただそれだけで、幸せになる人が多くいるのなら、それでいい。
 私はこれ以上ないくらいに無能無能と罵ったが、能力と人柄は別物で、ゆとり全共闘闘志には人柄のよい人が多い。思想信条が合致していて人柄のよい人が集まるサークル、これはとてもいいサークルだ。その意味で、ゆとり全共闘が持つ社会的役割は大きい。
 一方で真面目な社会運動家になりたい青年諸賢は、-そんな人はこの文章を読んでいないだろうが-、ゆとり全共闘にはコミットしないよう、私は強く勧めたい。
 サマライズすれば、ゆとり全共闘は左翼趣味を持った若者のサークルであるべきで、その一点においてのみ価値がある、ということである。

4.終わりに
 私にとっては、ゆとり全共闘闘志諸君は、同志というよりも、大切な友人であるといったほうが適切だろう。この批判文を書こうと思ったのも、何より友人が困っていたからである。大切な友人であるゆとり全共闘闘志諸君の活躍を祈って、批判を終わる。

【転載】「学生」から「市民」へ――ゆとり全共闘批判あるいは今日の「学生」運動の不可能性について

当然世界さんがゆとり全共闘について書いた批判について転載許可が取れましたので、本ブログでも掲載いたします。


「学生」から「市民」へ――ゆとり全共闘批判あるいは今日の「学生」運動の不可能性について

ゆとり全共闘の仕事は偉大だった。その批評性は認めざるをえない。インターカレッジな連帯の回復と学内規制・学費・就活に対する一連の批判的運動という仕事。これは完全に今日的大学の在り方に対する批判として正当なものだ。日本の大学という教育機関が持続可能性を喪失していることは誰の目にも明らかである。大学。学問の自由を防衛するための国家内国家。しかしそんなアカデミズムの楽園が日本の何処に、どれだけ生存できているというのか。そして生存し続けることができるというのか。ぼくたちの眼前にあるキ ャンパスというのは、隅から隅まで、「企業戦士育成機関」として再編されつつある。けれども、ここで育成されるのは、大学入学から三年ないし四年後の「就活」という戦場において有用である戦士に過ぎない。つまり短期的直接的に有用である戦士に過ぎない。産業構造が絶えず進化かつ深化し、社会における主要な産業というものが変化するポスト産業資本主義の現代にあって、このような人材育成にはどんな持続可能性もない。大学はもっと、より根本的な生存の質の向上のための育成(と研究の)機関となるべきである。それが大学とそこから輩出され る人材とその人材によって構成される社会に持続可能性をもたらす唯一の道だ。


 こういう現状と問題点と将来とるべき道のために、ゆとり全共闘の仕事は偉大だったと、その批評性は認めざるをえないと、ぼくは言っているのだ。何故ならそれは自己を完全な企業戦士育成機関とするためにキャンパスを制度的物理的に「浄化」し、「無菌化」をほとんど完成させた大学当局への批判であり、かつ、可能なる別世界の提示であったからだ。


だがゆとり全共闘の行動的批評(あるいは批評的行動)が端的に言って、「普通の学生」には理解し難いものであったのも否定できないところである。ぼくは各大学の運動の担い手達個々人の「センス」を批判したいのではない。決して、そうではない。そうではなくて、むしろ担い手個々人の責任など問うことができないような巨大な断絶がゆとり全共闘の活動家と 「普通の学生」の間にあるということが言いたいのだ。ゆとり全共闘の活動家達が活動家となったのは、ぼくは断言するが、大学生として合理的決断の結果ではないだろう。彼等が大学生としての合理性を越えることができた原動力が何であるかは彼等の個人史に属することであるから、神ではないぼくはここに書くことができない。しかし、とにかくそれは「普通の」事態ではない。大学生という属性を持った人間が合理的に振る舞おうとすれば、言い換えれば「普通の大学生」がその属性に忠実であろうとすれば活動家に対して敵対的であらざるをえない。何故なら彼等は企業戦士として自己を鍛錬せざるをえないからであり、大学の企業戦士育成機関化を肯定せざるをえないから。ゆとり全共闘が「2011年学生運動の失敗」などと題した生放送をしなくてはならない悲劇の原因はここにある。彼等は大学生の属性から導きだされることとして、大学生として当然のこととして、現状の大学の在り方に対して批判を行い、可能なる別世界を大学生という属性を持つ者達に提示した。しかし、今日のように、企業戦士育成機関化がほとんど完成した大学の学生達が自らの属性に忠実であろうとすれば、彼等の属する現行秩序の中で合理的に振る舞おうとすれば、活動家を黙殺し、嘲笑しなくてはならないのである。


  ぼくは何が言いたいのか。ぼくは、大学の自浄作用としての大学改革はもう不可能だと言っているのであり、大学改革を訴える根拠をそこに属する大学生という階級であることに求めることは敗北への道であると言いたいのだ。

 資本主義社会において、様々な労働者保護政策を導入させた根拠が、資本主義内部から導き出されたものではなく、むしろ、その外部である封建主義や保守主義から導きだされたように、ゆとり全共闘も、あるいはその後継組織も、大学改革の根拠を大学内部、大学生の属性内部から導きだすのではなく、外部からそれを導入することで説得的言論を構成するという戦略が必要なのではないか。 考えられるのは、学生運動の活動家が自らの立場を学生ではなく、市民という立場に位置づけなおし、市民として、より長期的な意味で(その持続可能性を回復させる人材を養成するという意味で)社会に貢献するような大学を要求することではないか。そうでなければ運動の持続可能性を保障するような、学生を含めた広範な階層の支持を得ることは、もう不可能なのではないか。

 つまり学生運動は、市民運動の一部へと自己を発展的に解消する他に生存戦略を持たないであろう。だが、何もぼくは悲観的なことは書いていない。ティトーは「歴史上のどんな運動でも、自己を永久化しようとする運動は、反動的なものにな」る、と言った。しかしまた、ぼくたちは、「継続は力なり」という言葉も知っている。そして活動家諸賢は前者の言葉を心に刻みつつ、後者を信じることができる。一体どこに悲観的なものが入り込む余地があるというのか。

「死ぬまでは次がある。常に次はあり続ける」(『BLACK LAGOON』制作/マッドハウス)

ゆとり全共闘について(再考)

以前、1月25日に「ゆとり全共闘と呼ばれる組織について」というブログ記事を書いたが、この間の「大学取り戻せデモ」の準備などで、個人的なゆとり全共闘観が深まったので、その思うところを書き記したいと思う。
そして、この文章が後世のゆとり全共闘、あるいはゆとり全共闘的な流れの浸透と拡大に少しでも役立ってくれれば幸いである。


現在の「ゆとり全共闘」というのは、関東の大学生(東京大学、早稲田大学、法政大学、明治学院大学など)の集まりなのだと思う。ここで、「なのだと思う」と断言しきれないのには、理由がある。
例えば、今回の「大学取り戻せデモ」用のメーリングリストというものがあり、現在25名ほど登録されている。しかしメーリス登録者に「あなたはゆとり全共闘ですか」と聞いた場合に返ってくる答えは「そうだと思う」「違う(と思う)」「よくわからない」の3点だろう。

要は、ゆとり全共闘周辺において、「自分はゆとり全共闘に所属している!!」と言い切れる人がいない(少ない)のであるが、このような状況は通常の組織ではありえない。
組織においては、まず所属しているという意識があり、渉外や書記、議事録、会計、などの役割が与えられる。そして、それらを束ね、方向性を指し示すリーダーがいる。この前提があり、やっと組織は機能する。


しかし、ゆとり全共闘(今後は便宜的に「ゆとり全共闘円上」もしくは「円上」と言う)にはこの全てが存在しない。
例えば、今回の「大学取り戻せデモ」を呼びかけたのは僕であり、ゆとり全共闘円上の人にいろいろと業務をお願いしている。しかし、誰かが別の何かを呼びかけ、僕がそれに賛同したときには、僕は業務を頼まれる立場になるだろう。


また、このゆとり全共闘円上に、僕の呼びかけに対して賛同する人・しない人がいていいと思っている。
賛同しない人は今回の「大学取り戻せデモ」に嫌々関わる必要はなく、自分の興味・関心と合致したデモやイベントのみに関わるべきである。極端な話、「大学はもっともっと就職予備校化すべきだ!」という意見の人が円上にいることも受容される。
さらには、デモに賛同したからといって、全ての人が一定の業務や負担を背負っているというわけではない。個人個人の時間や協力できる範囲での関わりとなっている。もちろんそれ故に生じる問題もあるが、それでも現状は機能している。


大学から場所・時間が消失した現在、僕たちが意識的にか無意識的にか作り、機能させようとしていうのは、特定の場所や軸を持つことのないプラットフォームである。

現在、ゆとり全共闘円上でのコンセンサスは驚くほど少ない。
ぼんやりと共通できている部分は大学もしくは社会、大きくこの二点の現状が「何かがおかしい」程度のものであり、その「何かがおかしい」を押さえた上で各人の思考や度量によって、提起があげられる。
そのため、ここで作り出されるのは「大学取り戻せデモ」であったり、はたまた「貧乏合コン」のような遊び的なものであったりする(最近その傾向は弱いが)。この二つのモチベーションや目的意識は大きく異なるだろうが、同様の基盤で機能している。


そして、今後、「大学取り戻せデモ」以降までを含めて考えたときに、活動の頻度や精度を高めるためには、円上の人口密度の濃さが重要であると僕は考える。どれだけの人が円上にいて、どれだけの呼びかけがなされ、どれだけの賛同者が集まるか、どれだけの離散・集合を生むことが出来るのか。卓越したスキルを持つリーダーよりも、一人ひとりの主体性を持った賛同者が重要なのではないかと思う。


もちろん、これは今現在僕から見えるゆとり全共闘の風景であり、別の人には全く違う風景が映っているのかもしれない。また、仮に現状は以上のような状態であったとしても、今後大きく様変わりするかもしれない。

しかし、現状の風景の捉え方も、今後の変化も、全ては人の数による。

僕個人としては「ゆとり全共闘なんてダサい名前のものは気に入らない! 新しいものを作ってやる!!」みたいな人がいてもいいと思うし、むしろそういう人がいなければ、いずれこのような動き自体が遠くない将来に消滅してしまうと思う。

ただ、現在のこの文章や、これまでの文章・活動から、何かしら興味や共感を持った学生(特に関東圏)は是非とも、円上の一人になってほしいと思う。一つのツイートやコメント、あるいは何かしらへの活動の参加、そこから円上に加わることができる。入り口と出口は常に全開に開かれている。

文責 法政大学 菅谷圭祐
ツイッターアカウント @sugaya_keisuke

「3.11」と「大学」、そして…

 奇しくも、私がこのブログを書いているのは3月11日である。すでにあの「3.11」から一年がたったのである。これから私は「大学」について書きたいと思っているが、どうにもそれには「3.11」という事件を無視することはできないように感じられる。

 「3.11」という事件は私たちが信じてきたものがどれだけ「信じてきたもの」に過ぎなかったかを明らかにした。未曾有の原発事故が起き、放射能がまき散らされた中で、政府もメディアも「影響はありません」と繰り返しただけだった。そうした中で一般的な人々においてももはやテレビから流れてくるコメンテーターや「専門家」の話に疑いを持たざるを得なかった。日本における「自明性(当たり前)」が実は破綻していたことに気づき始めた。

 しかし同時に、破綻している「自明性」は延命され続けていることも明らかにした。「原発」が爆発しようが、放射能がまき散らされようが、津波で人が流されようが、ここにいる「私」は「日常」を生きてしまっている。「放射能」がきたって構いやしない。私たちは「日常」に「終わり」が来ると密かに期待していたのかもしれないが、結局「日常」は「終わらない」し、劇的な変化もなく進むことができる。ただし、「気にしなければ」として。

 ここから考えられることとしては、「3.11」という事件は実は日本社会において「常にすでに起こっていた」状態を露呈させたにすぎないということだ。レトリック的な言い回しをすれば、「3.11は起きていない」(なぜなら「常にすでに起こっている」ことの延長に過ぎない)ということも言えよう。このように、私たちは破綻する(している)ということがわかっているのにもかかわらず、生きられてしまっているわけだ。

 さて、このあたりから大学の問題とつなげて語りたい。実は今の大学においても「常にすでに起こっている」事態というのが存在するのではないか。学生たちは「常にすでに起こっている」事態の中で「生きられてしまっている」のではなかろうか?「大学」は破綻する(している)とわかっているにもかかわらず。

 そうしてみると、現在進行している状況というのは「学生の動物化」とでも言うべき事態であると考えられる。もっと言えば、「(すでに)動物化した学生」の徘徊といってもいいかもしれない。「動物化」というのは某思想家の言葉だが、端的に言えば、「各人がそれぞれ欠乏−満足の回路を閉じてしまう状態の到来」ということである。今の学生は「最後の人間」、つまりは「歴史的闘争から解き放たれ、安逸と退屈のなかで凡庸な消費者になりさがってしまう人間」になってしまっているというわけだ。
「動物化」については⇒ http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C6%B0%CA%AA%B2%BD

 2000年代初頭にはすでに「大学」では「最後の闘争」が繰り広げられていたのかもしれない(現在は「最後の闘争」以後に残された「最後の人間」たちである)。1月25日付のこのブログの記事「ゆとり全共闘と呼ばれる組織について」では、2000年代初期の「早大闘争」の様子が描かれた動画が上がっている。この時期においては強まる「動物化」の中である一つの抵抗が繰り広げられていたが、このような事態が起こっていたことを知る学生は今となってはほとんどいない。もはや「動物化」はデフォルトになっているのだ。そして「動物化した学生」と現在私たちが問題視している「学費」「就活」「学内規制」の問題は表裏一体なのである。

 ところで「動物化」は何が問題なのか。

 第一の問題。「動物化した学生」たちは「抵抗」を持ちにくい。端的に言えば「問い」を発することができない(この点に関しては昨日の記事「何を「取り戻す」のか」がよく書かれているので参照してもらいたい。)。この「問い」を発することができない状態は長期的な視野を持った思考を閉ざし、持続的な社会設計を不可能にする、もしくは一部の「専門家」に委ねる以外なくなる。

 しかし、日本には「10万年」先まで見通して立てなければならない核廃棄物最終処分場の問題や、100年を見越して再構築しなければならない年金制度の問題など、長期的思考が不可欠な問題が山積みなのである。また、「3.11」が明らかにしたように「専門家」とはいかに「いいかげん」な存在かわかった以上、自ら「専門家」に対する判断力を持たなければならないのである。こうした課題に対して「動物化した学生」は太刀打ちできるのか(大学の進学率が50%を超えている以上、社会の半数は大学の影響を受けるのだ)。

 第二の問題。「動物化した学生」たちは贈与感と連帯感を持ちにくい。目の前の対象に対する欲望しか見えなければ、自分が「与えられている」という感覚を持つには至らないだろう。「与えられている」という感覚がなければ、他者に向けて「与える」ことはできない。せいぜいインターネットを介して、ウォッチした後「2ちゃんねる」に書き込んで満足して「消費」は終了だ。わざわざ誰かと「与え合う」関係として連帯する必要もない。そうした関係は極めて風通しの悪い状態を生み、「自己責任論」が席巻することになる。

 しかし、誰かとともに取り組まねばならない問題など社会にいくらでもある。制度レベルの話ではなく、居住・育児など生活スタイルのレベルにおいても今や無視できない。そうした中で「動物的感覚」に安住して良いのだろうか。

 このように「動物化した学生」は現時点においてはなんとなく「生きられてしまう」が、これは将来的には社会的なレベルでは制度的にも個々人のライフスタイル的にも弊害を生み出す恐れがある。そして弊害をさらに次世代に再生産する恐れもある。

 こうした中で、状況は八方ふさがりなのであろうか。希望はないのか。「動物化」の最大の問題は回路が閉じていることであった。ならばその回路を開いて繋いでいく作業が必要となる。抗議の回路、学問の回路、労働の回路、創造の回路、欲望の、すなわち、絶望の、幸福の、怒りの回路…まだそれぞれ閉じたまま繋がれていないこれらの回路を接続していくことで新しい扉は開かれる。

 今回の「大学取り戻せデモ」はまさに閉じられた回路を開いていく一つの作業の一環に他ならない。それによって何が生み出されるかは今のところは未知数である。今後の「大学」を巡る状況が良くなるとも悪くなるとも言い難い。悲観的な予測のまま、今大学で進行している事態が続いていくかもしれない。

 しかし、「今がおかしい」というのと「今よりもっと」という二つの感覚がなければ、「常にすでに起こっている」事態というのを捉えることはできない。まずは「常にすでに起こっている」事態を「動物」的に捉えることをやめようと意志するところから始めてみようではないか。「気にする」ことから始めてみよう。そこから私たちは「3.11」の、あるいは「大学」の事態を乗り越える思考を手に入れられるのではないか。

 「3.20 大学を取り戻せデモ」ここから一つの新しい思考を始めよう。新しい扉は「常にすでに」開かれ始めている。

文責:@uchunohate (on Twitter)

プロフィール

全国学費奨学金問題対策委員会

Author:全国学費奨学金問題対策委員会
7月14日(日)にデモを行うに当たり、ゆとり全共闘のブログを一時的にジャック!!
高い学費、借金でしかない奨学金に抗議をし、するために7月14日(日)にデモを行います。
学費無償化、給付制奨学金の実現に一声あげましょう。

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