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3・20「大学取り戻せデモ」のご案内

3月20日、ついに明日は「大学取り戻せデモ」!!!



ナメられ続けてきたゆとり世代が、いよいよ立ち上がるときがきた!
我々の持つ「力」を、神田の学生街で、物理的にアピールしていこう!!!!!
3月20日、ゆとりの力を見せ付けてやろうではないか!!!!!!

【日時】3月20日(火・祝) 春分の日
 集合 13時30分/出発 14時00分
※出発前挨拶・デモの諸注意等があります。13時30分には挨拶を始めますので、時間に余裕を持って来ていただければと思います。

【集合場所】お茶の水公園
※JR御茶ノ水駅 聖橋口より徒歩5分

【主催】大学取り戻せデモデモ実行委員会(ゆとり全共闘)

‹注意事項›

1 記録撮影及びライブ中継を予定しています。服装は自由ですが、顔を写されたくない方はマスクなどのご用意をお願いします。

2 デモは途中参加・途中抜け可能です。場所などがわからなければ、Twitter(@yutori_zenkyoto)までご連絡下さい。

3 「大学取り戻せデモ」は学生が運営しておりますが、デモには学生以外の方もぜひお越し下さい。

4 街頭に出ればそこはデモのアピール空間です。各種趣向を凝らしたアピール・それぞれの立場からの問題提起、大歓迎です。


ブログ
http://yutorisammit.blog.fc2.com/
ツイッター
https://twitter.com/#!/yutori_zenkyoto

デモに予約は不要ですので、時間のある方はぜひふらっとお越し下さい。お一人での参加でも、友達と一緒での参加でも、大歓迎です。何かわからないことがあれば実行委員までお問い合わせ下さい。たくさんのご参加お待ちしております。
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大学と経済

 今や、社会は経済に埋め込まれつつある。
 ありとあらゆることが、貨幣を代価にして行われるようになった。友人と駄弁ろうとしても、駅や広場や公園からはホームレス対策の名の下にベンチなどが撤去され、ゆっくり憩うこともできない。結局、お金を払って、マクドやら喫茶店やらに入ることになる。休憩するための場所にも、お金がかかるのだ。あるいは、大きな話をすれば、現在では二酸化炭素にも値段が付けられている。「排出権取引制度」というやつである。
 ホリエモンこと堀江氏は、「金で手に入らないものはない」ということを繰り返し言っている。そして、それはあながち間違いでもない社会に、私たちは生きている。

 大学もまた、経済に埋め込まれつつある。
 かつては「大学自治」「学問の自由」を高らかにうたい、俗世間から隔絶した感のあった大学は、今やいかに企業に評価してもらえる学生を育てるか、あるいはどれほど多くの学生に国家資格を取らせることができるか、そういったことに第一義的な関心が向いているように思われる。いわば、大学の就職予備校化である。

 このことは、学費の値上がりと大いに関係がある。
 1960年には年間9,000円だった国立大学の授業料は、1970年には12,000円、1980年には180,000円、1990年には339,600円、2000年には478,800円、そして現在では535,800円(文科省令による標準額)。消費者物価指数を基に、物価の値上がりを考慮したとしても、1960年の学費は現在の54,000円程度に相当、1970年は現在の36,000円程度、1980年は現在の240,000円程度なのである。私立大学にしても同様で、授業料の平均額は1970年から1990年の間に大きく跳ね上がっている。
 この値上がりは、何を引き起こしたか。
 まず、この値上がりの背景を指摘しておきたい。1970年の教育白書には、国公私立学校で何らかの教育を受けている人間を指して、「受益者」という言葉が用いられている。管見の限り、この白書が受益者という用語を使った最初のものである。この白書では、「授業料などの受益者負担額が妥当な程度の金額となるよう配慮す」べきであるとされている。つづく1971年の中央教育審議会(中教審)による答申でも、同様の表現が用いられており、そこに付された〔説明〕では、「受益者負担の実際額は、教育政策の立場から、その経費の調達が大部分の国民にとっていちじるしく困難でなく、個人経済的には有利な投資とみなしうる限度内で適当な金額とすべき」とされている。
 70年の教育白書も71年の中教審答申も、当時の政治家や文部官僚の本意はどうあれ、文面上は決して受益者負担額の増大のみを狙ったものではない。70年教育白書においては、「父兄や学生が学校に納付した授業料・入学金等を受益者負担額とし、これに対して、学校が支出する教授費、維持費、修繕費、補助活動費等の消費的支出を受益者の受益額と」するとなっており、両者の割合が国公立大学と私立大学では大きく差があり、この格差を是正するために私立大学への財政援助や奨学金制度を拡充すべきという内容になっている。ここでは、受益者の受益額は、在学中の教育にかかった費用、すなわち教育費に限定されている。この限定は、71年中教審答申ではやや曖昧になり、先に挙げた〔説明〕では、学校卒業後に得られる経済的な利益を指して、受益としているとも読み取れる。とはいえ、やはりここでも私立大学への財政援助や奨学金制度の拡充は唱えられているのである。
 しかしその後、政府が大学への財政援助や奨学金制度の拡充に腰を据えて取り組むことはなかった。その一方で「受益者負担論」はひとり歩きを始め、「大学を出れば給料の良い仕事に就けるのだから、授業料は高くても良い」といった、乱暴な議論がまかり通るようになる。授業料は先行投資で、生涯年収はリターンだ。ここで描かれる受益者とは、まさに新古典派経済学的な経済主体、自らの利潤を最大化しようとする経済合理的な個人である。この「受益者負担論」は、政府のみならず、世間一般で広く受け入れられるようになった。良い塾、良い高校、良い予備校、良い大学、良い会社、良い人生。
 ここに至って、大学は経済に呑み込まれる。

 大学が、そして社会が、経済に埋め込まれることの、何が問題か。
 大学の問題、社会の問題については、先に他の方々が論じておられるので、ここでは取り上げない。
 私がここで問題としたいのは、経済がすべてを呑み込んでいくことで、経済自体が衰退していくということである。
 大学と経済という観点に絞っても、すでに衰退の兆候はある。現在、大学では就活や就職に向けて様々なキャリア教育が行われているが、しかし企業はそういった大学のキャリア教育をあまり評価していない。専門知識の必要な専門職や研究職でない限り、企業は学生が大学で何を学んだかをさして気にしない。日本企業はむしろ、社員研修を通じて新入社員に一から知識を叩き込む方を好むため、大学でキャリア教育を行おうが行うまいが、大して気にしていないようなのだ。さらに言えば、そういったキャリア教育によって、要領よく就活をこなす「優秀な就活生」は大量に生産されるが、しかし彼らが「優秀な社員」になるとは限らず、むしろマニュアルに頼りすぎて自主性を発揮できない傾向があるという。企業の人事部が優秀な人材集めに四苦八苦するゆえんである。ではいっそ教育機関としての大学を潰せばいいかというと、ことはそう簡単でもない。大学に職を得ている、あるいは大学に関係する産業(塾・予備校・家庭教師など)にいる人間の数は膨大であり、大学の廃止は当然ながら膨大な失業を生む。失業は消費の冷え込みを招き、消費の冷え込みは経済を停滞させる。
 いつのものだったかは失念してしまったが、以前プレジデント誌で面白い記事を見た。ある企業の人事部員が、「大学寮の出身者は、優秀な社員になることが多い」という。理由は、「様々なバックグラウンドを持った人たちと共同生活を送ることで、コミュニケーション能力や自発的に協力する姿勢が自然と身に付いている」というものだった。2000年以降に、大学当局が躍起になって自治寮を潰してまわり、学生の溜まり場を制限し、サークルや学祭を管理下に置いた顛末が、「大学寮の出身者は優秀」。最高の皮肉だ。

 私たちは、経済を相対化しなくてはならない。
 絶対的なものとして、その中でしか生活を営むことができないものとして君臨している経済に対して、別の論理、別の倫理を打ち立てなくてはならない。何よりも、経済自身のために。
 先に関が述べたように、大学という場は学問を通じて何かを問い直す場たりうる。大学を取り戻すことは、正しく大学を、そしてそれが埋め込まれている経済を問い直すことなのである。
 大学の論理、経済の論理、他の政治やら芸術やらの様々な論理、こういった論理の多様性こそはそれ自体で豊かさであり、それぞれの論理における豊かさにも寄与するものであると、私は強く信じている。
 デモもまた、政治行為としてそれ自体が一つの論理であり、したがって問い直す行為でもある。ゆえに、私はこのデモを支持し、参加するものである。

 まあ、その、あれだ、よろしければ明日14時にお茶の水公園で会いましょう。デモって結構楽しいから。まじで。


東京大学文学部
鈴木 駿


追記:あと、どーでもいいけど明日俺の誕生日だぜヤッホウ

【本日】学費問題についての勉強会を行います!

「大学取り戻せデモ」が問題視する3つの課題――学内規制・学費・就職活動――
今回は学費についての勉強会を行います。
是非ご参加・ご視聴くださいませ!


<学費問題勉強会 ~学費から考えるこれからの大学~>

【日にち】 2012年3月17日
【時間】 14時~16時
【場所】 明治学院大学 白金校舎 2号館2階 2302教室 (アクセス
広場
明学の正門から入って真っすぐ奥まで行くと、こんな感じの広場に出ます。
ガラス張りの建物(パレットゾーン)のほうを向いて左側にある建物が2号館です。

【内容】 ディスカッション形式での勉強会
テーマ
・大学の学費の在り方。(キーワード:受益者負担、教育の機会均等)
・学費を安く、あるいは無料にしたときの問題点

【ネット中継】 http://www.ustream.tv/channel/ゆとり首脳勉強会



文責:@penguinlegs

「取り戻す」ための戦い

デモという行動に対するよくある批判として、「デモなんかやっても意味はない」というものがある。

この問いに僕なりの答えを書いておきたい。

他のデモはわからないが、「大学取り戻せデモ」それ自体によって大学・社会が変わることはありえない。絶対に、100パーセントありえないと言い切ってもいいと思う。


残念ながら大学も社会もそこまで脆弱なものではない。

100万円という高額な学費を払わなければ学ぶことができないことも、3年の秋から就職活動という椅子取りゲームに半強制的に参加させられることも、学内の問題に関して少し抗議しただけで教職員に囲まれ、ときには警察を呼ばれることも、よく考えれば何かがおかしいことに気づく。
しかし、これらの全てはおかしいなりに感心するほどによくできている。さらには、多くの大学を管理しようとする者たちは、日々この「上手くいっているように見える秩序」を守り、強化し続けている。そして、学生・若者を意識的にせよ無意識にせよ、大学とその後に続く社会に対して屈服させることに専念している。


「大学取り戻せデモ」そのものでは、大学を取り戻すことはできない。
恐らく、このことは多くのメンバーも認識していることであると思う。では、何故少なくない時間をかけ準備しデモを行おうとしているのか、個人的な見解を述べるならば、希望と可能性にかけているからである。


デモにより社会は変わらないが、個人は変わるかもしれない。
デモで同じ問題意識を持った仲間に出会えるかもしれない。強い反対意見を持った学生・若者と議論が生まれるかもしれない。つながりが生まれ、新たな活動が始まるかもしれない。そしていつかはそこから社会や大学も変わるかもしれない。


「大学取り戻せデモ」というのは、多くの大人が守り、日々強化している「上手くいっているように見える秩序」(それは大学だけに留まらない)に立ち向かっていくために、希望と可能性をつないでいく戦いであるといえるのかもしれない。

それは、長い期間を経てやっと成就するのかもしれないし、意外にすぐにうまくいくかもしれない。あるいは社会が衰弱し、機能しなくなるまで「上手くいっているように見える秩序」に屈しつづけるのかもしれない。しかし、現段階でわかることは、行動を起こさなければ「変わるかもしれない」という可能性さえ生まれることはないということである。

僕たちがつなごうとしている希望と可能性は生まれたばかりであり、脆弱で、稚拙なところも多々あるかもしれない。現行の秩序と比べたときに、それは驚くほどに小さなものだろう。

しかし、ここから始めていく以外には方法はない。

絶対的な傍観者という立場はなく、僕たちはどちらかを選ばなければならない。
現状の何かがおかしいままに動き続けているシステムを肯定し、強化する側にまわるのか。あるいは別の可能性を模索するのか。


希望と可能性を信じる人は3・20「大学取り戻せデモ」に来て欲しい。
一人でも多くの人の何かが変わり、つながり、希望と可能性が広がっていくことを願っている。

文責 法政大学 菅谷圭祐
ツイッターアカウント @sugaya_keisuke

【告知】勉強会第3弾!!「シューカツ×大学」勉強会のお知らせ

ゆとり全共闘プレゼン勉強会の第3弾であり、最後の回となるデモプレイベントのお知らせです。

テーマは“シューカツと大学”

近年の大卒就職難に伴い、大学の姿が様変わりしてきております。
大学を卒業し、そのまま就職する― 
一昔前であったならば誰にとっても当たり前であったこの過程が、
昔では考えられないほど困難になっているのが現在の空前の就職氷河期時代です。
大学を卒業すれば職にあずかれるという保証が崩れ去った今、
大学はこれまでと同じようにただ学生に勉強させて卒業させるための場所ではなくなり、
学生を就職させるための場所として変化せざるを得ない状況に立たされました。
そのため大学は様々な就職支援策を講じたり、就職率を上げるための努力を行ってきました。
その結果、現在の大学は「いかなる学問をするのか」ということに重きを置くのではなく、
「いかにして就職するのか」という点を重視する場所へと変化したのです。

その変化は大学だけでなく学生も同じことが言えます。
卒業後の進路がまったく不安定な時代に立たされた今の学生たちにとって、
将来のことを強く意識すれば意識するほど、大学の4年間とは自由に使える時間ではなく
シューカツのために費やすべき準備期間となります。
その結果、大学で得るべきものは就職で役立つ「コミュ力」や「自己PR力」「人脈」であり、
本来大学の本分であった「勉強」はむしろシューカツのお荷物とさえ言うべきものへと成り下がりました。
大学それ自体の価値は、「大卒」というチケットを得るため以外のなにものでもありません。
その中身はその“チケット”を得るために、単位を取るためだけに出席する「講義」と、
あとは現実的な意味で講義なんかよりずっと自分の(シューカツの)役に立つサークル活動やバイト、インターンシップ―で満たされています。

シューカツというプロセスが学生に強いる心体的・時間的負担が激増している今、
仮に大学教育をサービスとして見たとしても、本来大学のメインコンテンツであった「講義」や「学問」というものは、就職活動に必要な能力やスキルと比べればセカンダリーと言うよりも、むしろ足かせとなる無意味無価値な存在になってしまったと言えるかもしれません。
それを覚悟した上で、例え大学が勉強よりも就職活動に力を入れる「就職予備校」と化したとしても、
果たしてそれが現在の就職難の状況改善に繋がるのでしょうか。
そのような大学で学んできた学生たちを企業は欲しているのでしょうか。
そのような学生生活を送ることをを学生当人たちは望んでいるのでしょうか。
そして社会はー

シューカツという軸に絞って大学を見ただけでも、私たちは「大学とは一体なんなのか」という問いに
必ず直面します。それは単に大学経営者や政治関係者のみが考えるべき問題ではなく、
学生や企業も当然含めた社会全体で考えなければならない大きな問いなのです。
「大学の存在する意味とは」「大学の価値とは何なのか」
私たちはこの膨大すぎるテーマに対し、この度の勉強会はこの“シューカツ”という切り口から、
その考察と議論を開始したいと思います。




ゆとり全共闘プレゼン勉強会第3弾 「シューカツ×大学」勉強会

【日時】3月18日(日) 19:00~21:00
【場所】文京シビックセンター 5階会議室B(http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_shisetsukanri_shisetsu_civic.html
【内容】シューカツという切り口から大学の在り方について議論を交えながら一緒に考えましょう
【参加】誰でも自由。定員は25名ほど。学生さん歓迎!

※Ustream生放送については今のところ未定です。興味のある方はぜひ会場まで!



文責: jun (@hairlybastard on Twitter)

プロフィール

全国学費奨学金問題対策委員会

Author:全国学費奨学金問題対策委員会
7月14日(日)にデモを行うに当たり、ゆとり全共闘のブログを一時的にジャック!!
高い学費、借金でしかない奨学金に抗議をし、するために7月14日(日)にデモを行います。
学費無償化、給付制奨学金の実現に一声あげましょう。

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