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【転載】全国学生座談会

情況9-10月号に掲載させていただいた文章を公開いたします(本記事の他にも充実の学生運動特集が掲載されている情況9-10月号をご購入したい方は情況出版様にお問い合わせください)。

全国学生座談会企画



◆この座談会を読まれる前に――原発より“危ない”大学と21世紀の僕らの運動

 1970年代全共闘運動から、約半世紀という長い歴史を持つ「変革のための総合誌 情況」において大学問題特集を組んで頂けることになりました。
 そもそも、何で“由緒正しき”情況誌に大学問題の特集を組んでもらえることになったのかというと、「ゆとり全共闘」(略して「ゆと全」、ゆとり世代が中心なので…、こういう名称です。。)という首都圏のノンセクト・無党派グループの動きが目に留まり、それが、なぜか、一定評価されたからということになります。というかそう いうことにしておきます(笑)。
まずは「ゆとり全共闘」とは何なのか、なぜ出来たのかという経緯を紐解くと、法大闘争という火種が多分に影響を与えています。
 本企画では、第一部で“たぶん”「ゆとり全共闘」の戸籍上の母親にあたる菅谷圭祐が法政大学に2007年に共に入学し、同じ時に同じ空間で過ごし、現在は文連・全学連委員長(中核派系)となった齋藤郁真君と、首都圏、いや全国でも最大規模の闘争と伝統、そして“弾圧”がある法政大学を中心に過去を振り返り、第二部では全国(といっても今回は、首都圏+北海道大学、東北大学ですが…、参加したくなった読者のみなさん、もしもし、次回機会があったら是非是非参加を!“)の無党派学生と共に現在の貧困すぎる運動を見つめ、第三部にて、これからどうなるんだ、どうすればいいのかと“未来”の話を展開します。
 ここから、大学の問題が、学生運動がどこへ向かっていくのか、その指針や希望を少しでも示すことが出来たならと思います。



第一部 法政大学という“戦場”から! こんなの大学といえるのか! 
――普通の学生が、決起し、戦うようになるまで、セクト・ノンセクトの選択


菅谷 まず自己紹介をすると、僕はゆとり全共闘という集団の中でノンセクトとして活動しています。中核派が拠点校としている法政大学で学生運動に関わってきたので、中核派の知り合いもいます。中核派の中で個人として好きな人はいますが、組織全体で見たときにあまり好きではなく、シンパというわけでもありません。というかセクトというものが窮屈そうで好きになれない。そのため、将来的に中核派、あるいはどこかのセクトに入るということはないと思います。今日参加している学生は齋藤君以外はみんな無党派、ノンセクトの学生です。何でこういう挨拶から始めるかというと、日本の運動業界において、何派だとか、ノンセクトなのか、どこのシンパなのかということが、とんでもなく重要な事のように思われている、とても面倒な業界だからです。この点についてもおいおい触れていければと思います。
僕のゆとり全共闘に至るまでの前史を少しだけ話すと、僕は法政大学で09年~11年の間に学内全面禁酒に反対する飲酒闘争を行いました。これは中にセクトのいないノンセクトだけ、というかノンポリに近い人だけで行った闘争です。活動内容としては、始めは学内でお酒を振舞いながらの署名集めから始まり、全面禁酒施行後はスイカ割りしたり、プールを出したりしながら、とにかく禁酒に反対する学生がゆるく集まろうというような活動をした。僕やその仲間がこういうやり方を選んだ理由は、法政大学では中核派学生を中心に逮捕・処分が乱発していて、大学に抗うために、かなりの覚悟を要するような状態になっているからです。例えば署名集めをしていると、学生が「署名したら逮捕されませんか?」なんて事を普通に言うような状態。こういう異常な大学の状態を変えたいという意識があった。それは今の活動の意識にもつながっていて、とにかく学生運動業界全体の参加するまでの敷居を下げていきたいというのがあります。
一方、齋藤君は08年に当時はノンセクトで文化連盟委員長として決起して、それ以降、弾圧の一番強いところで戦い続けている。僕がプール出したり、スイカを割ったりしている間も、処分や逮捕という弾圧があるところで戦っていた。でも振り返ってみると僕たちが一年生だったころは一緒にキャンパス内で音系やら演劇系やら文章系やらのサークルが集まる会議や合宿に出ているということもあった。そのころと比べるとお互いにすごく、なんという遠いところまで来てしまった気もするけれど。

齋藤 菅谷君もそうだと思うけれど、2007年に法政大学に入ったときに僕は、自分がここまでこれるとは思っていなかった。当然のことだけど、文化連盟委員長になって法大闘争を牽引して、退学処分を受けて、逮捕されて、全学連委員長になるとは思っていなかった。僕の今に至る活動の発端は、いわゆる世間で過激派といわれる「中核派」の人たちが警備員からの入構チェック、学内で職員からの尾行を受けていたこと。僕は法政大学に入学してすぐに、これは大学としておかしいと思った。それを職員に「おかしいじゃないですか」と言ったら、どういうわけか、活動もなにもしていない普通の大学生だった自分にまで監視がつくようになった。そこから大学でそのようなことが行われる背景や理論を学んでいったのだけど、発端は、こういう、純粋な「なんで?」という感情だった。

菅谷 僕は、齋藤君は一年生の時から大学に対して理路整然と抗議していて、すごいなと思っていた。その過程で処分・逮捕にも怯まずに戦って、実際に退学処分を受け、逮捕もされてしまった。そのような経験を経た上で、今の中核派という選択があるんだと思う。僕はと言うと、そういった覚悟を決めた戦いに対しては完全に「ひよって」しまっていた。もし今の状態で、過去に戻ってもやっぱり逮捕や処分が怖いから一緒に戦えないかもしれない。でも、「ゆとり全共闘」という団体にはそういった僕の過去の経験や反省が大きな影響を与えている。大学に対して完全に屈服する(ないしは何も考えないで就活する)か、活動家になって逮捕・処分覚悟で抗議するかどちらかしか存在しないというのは、なんというか、異常な状態だよ。

齋藤 文化連盟は08年の「決起」時点から中核派との共闘だったし、僕も今は社会のいわゆる普通とは別の進み方をしながら生き残ってきた中核派の中で活動している。セクトには、まだ“蓄積”がある。でも、“奪われつくした”ところからのスタートだったら、「ゆとり全共闘」みたいな運動から始めるしかないと思う。今は自治会や学生会館といった場所や組織の過去の蓄積が根こそぎ奪われてしまったからね。

菅谷 他大学の学生との交流で見えてきたけれど、学館とか部室とかいった、インフラとかの“蓄積”の崩壊というのは法政大学だけではないんだよね。全大学に多かれ少なかれ共通する問題。そもそも「抵抗する」文化というか空気を形成していた組織や建物が大学から完全になくなってしまっている。今回の座談会の目的の一つでもあるんだけど、昔の闘っていた全国の読者のみなさんに是非理解してほしいのは、こういう現状なんです。とにかく、昔の人たちとは現状がちがうんです。「過激派」対策の名目で、普通の学生が、普通に、集まれる空間・場所、あと時間もない。大学や社会を批判する極少数の活動家と、圧倒的に無関心な大多数の学生という感じになってしまっている。これにはセクトはセクトでの問題や課題もあるのだろうけれど、ノンポリ・ノンセクト層の中でも、自覚的にもっと厚みを持たせていかなければ結局何の問題でも勝てない。そういうところを何とか変えていけないだろうかと思っています。ガチな活動家だけでなく、1から99までのとにかく、なんでもいいけど、学生運動・学生運動のようなものを作っていかなければこの現状を打開することができない。

齋藤 その話に関連するところでは、今はセクト・組織に加わるというよりは個人が立ち上がり始めているという傾向はあると思う。これはすごい重要なこと。昔は、例えば「日大全共闘で戦うんだ」という組織・集団の中に入るということが決意の表れになっていた。それが今はまず個人で戦うんだと、まずオレが戦うんだと、誰もデモに行かないけどオレはデモに行くんだみたいなのが決起になっている。でも実際に立ちがあってみると、一人では絶対に警官に勝てない。戦いたいから仲間とつながって、仲間とつながると楽しいからもっと広げたくなるみたいな。そういうのが今始まっていて、その過程を大事にすべきだと思う。それがぼくにとって、セクトを選んだ理由です。

菅谷 齋藤君の話は多分、最終的には1~99だけでなく100のところで戦う党のようなものが必要ということなのかな。それは僕もそうだと思う。例えば、今法政大学から文連・全学連がいなくなったら、抗議成分薄めでプールやスイカ割りやるくらいの僕が極左ということになる。それは絶望的としかいいようがない笑。でもその上で節操ないことを言うと、法大の問題は中核派に対する異常な弾圧という問題もあるから、その状況を踏まえた上で個々人が出来ることをやっていくべきだと思う。ただ、それは法大という個別大学の事情を見たときはそうなるけれど、ゆとり全共闘全体としては、何派がいいとかとかそういうのはない。むしろ、この今の運動業界の中でノンセクトとして存在していなければ意義が薄れてしまう。
それと、過去の党派対立や、社会全体で見たときに極々狭い運動業界のしがらみや常識を引きずったり、評価や視線を気にする必要はないと思う。これは僕は良いことだと思うのだけど、年代が下にいけば下にいくほど、党派の争いや左翼のしがらみといったことに無頓着な人が多い。過去の蓄積がなくなっちゃったから先輩からそういうことを継承される場所や機会がないからなくなっちゃったんだね。これはある意味で“蓄積のない”時代のいま、21世紀の学生運動の強みになるんじゃないかと思う。僕より上の世代と人と話をすると、結構面倒なことがいちいち付きまとったりする。そういうことを考えたり、言われたりするだけで、学生運動というものに対してうんざりしてしまう。もちろん過去には内ゲバいろいろなことがあったから、割り切れないものがあるのだろうけれど、それはもう上の世代まで終らせてほしい。今の、これからの人、せめて学生レベルではそういったしがらみがなくしていきたい。というか、やっぱり内ゲバであったりという怖いイメージが先行していると、なかなか普通の学生が参入しにくいし、“爆発的な”発展は難しいんじゃないかと思う。だから理想としては、将来はもっと繁殖して層が厚くなった無党派学生と各党派の学生がこういう場所でずらっと一堂に会せるようになってほしい。
そんなことを思いながら、ここからは日本の無党派学生の現在、1~99パーセントがどうなっているかについて、話していきたい。



二部 各大学・学生の現状

◆大学の悲惨な現状
菅谷 まず、さっきまで何度か話題に上がっていた「ゆとり全共闘」の後輩から、今の現状について。

東洋鍋子 昨年はデモや学内での抗議行動などを行ったのですが、今ではそういった直接行動はなくなって各人の興味関心の強い分野の勉強会を行っているような状態です。何でそうなっているかということを考えると、去年の運動っていうのはリーダーシップの「強い人」に頼った運動だったのかなと思います。何人か発言力や覚悟が強い人が直接行動を引っ張って、それを他の人がバックアップするという感じで……。ただ、多くの人はそういった強い行動ができないから、昨年の「ゆとり全共闘」という大枠の中からそれぞれが研究会のようなものを作っているという状態になっています。

臼井優 デモをやろうとか呼びかけても去年のように集まらなくなった。僕は勉強なんていうものは個人でやればいいと思っている。理由は単純で大学と学生の間に対立軸があって、大学と学生の間にある対立軸を表に出してぶつかっていかなければ何も変わらない。そのためにはキャンパスで抗議集会をやったりとか、学内デモをしたりとか、身体性を持って戦う以外にはないと思っているんですよ。だから○○研究会とかをやって、対立軸をぼかしたままでは何も変わらない。

菅谷 北海道大学では現在どのようなことになっているか教えてもらえますか。

多部勇樹 2011年の7月くらいから学内の一部占拠を始めました。発端は大学の中に誰も使っていない屋根つきの屋上があって、そこが外からは見えないんですよね。ここを占拠してしまおうとスクウォット同好会という組織を立ち上げました。最初はノリで始めて、理論は後からついてきたというような感じです。その一つはスクウォットで使っていた材料や家具は全て大学の廃材だったのですが、これを捨てるのはもったいないという主張です。北海道大学は学生ではなく“地球環境にやさしい”持続可能性(サステナビリティ)という取り組みをしているのだけれど、自分たち学生こそサステナビリティだと(笑)

鈴木健太 そこでなんとか一冬越えることはできたんですけれども(北海道はほんとうに寒いんです!)、春になって教職員にばれてしまいました。これについては実はずっと前からばれていたのだけれど、冬の間は寒いから黙っておいたという北海道的な話もあります(笑)。 それで撤去しろと迫られました。抗議などもしたのですが、最終的には撤退しました。

菅谷 スクウォット同好会は“弾圧”が来て解散してしまったというわけですね。ゆとり全共闘も昨年一定活動した上で、これからどうするのかというところで停滞している。ノンセクトの学生運動というのは、なんと言うか、さきほど鍋子さんがいうところの「強い人」、個人の力頼みか勢いありきみたいなところがあると思う。カリスマ的な人物が潰されちゃうか、弾圧を受けて勢いが落ちると一気にしぼんでしまう。深谷君のいる東北大学はどういう現状なのかな。

深谷 東北大学はとにかく弾圧がひどい。カキ氷を学内で振舞っただけで呼び出しをくらったりということもある。弾圧の手法が洗練されていて、公安みたいなことを職員がやったりもする。ただ東北大では自治寮がまだ残っているから、そういった蓄積という面では首都圏とは少し違った状況にあるのかもしれないね。

菅谷 寮や自治会といった過去の蓄積、もしくは蓄積していける場所や組織がなくなったところではどうしていけばいいだろう。


深谷 僕は運動の「層」の意識が少しずつ変化していくことが重要なんじゃないかと思う。例えば7月にすごく大きな原発デモがあったじゃないですか。そこに「何かわからないけどすごいぞ」ってたくさん人が集まった。これはノリというか勢いで集まっているような人も多かったと思う。それが一旦退潮傾向に入って、「やっぱり運動にうまくいかないのかな」と思う人がいる一方で、「もっともっとオレたちはできるんだ」「どうすればうまくいくだろうか」と思う人に分かれてきている。学生運動でも少しずつ新しい蓄積ができてきているのではないかと思いますね。実際、こういう風に集まっていること自体、すごいんじゃないのと思う。今までではこういう機会というのはほとんどなかった。

齋藤 社会全体での運動の“蓄積”はどんどんと出来てきていると思います。それに運動は何度も敗北を繰り返しながらやる人の数がちょっとずつ増えていって、時々勝ってを繰り返しながら権利を獲得していく。結局そうやって運動はつながるんですよ。

鍋子 それでも最近、自分たちは何もやっていない、私たちのやってきたことを学生運動と呼んでいいのかと悩んでいます。いろんな先輩と話していて、私は学生運動をやってきたなんて絶対言えない。過去と比べると自分たちがミジンコみたいに感じてしまう。

臼井 おっさんなんかは僕たちがノリを全面に出してデモをやったり、学内で職員に尾行されながら鍋とかやったりするのを見て、「俺たちが若いころはこんなふざけたことをやっていなかった」とか「甘い」とか言いますね。

齋藤 それは生きている時代とか条件が全く違うわけで、気にする必要はないですよ。ただ社会でまじめに働いている労働者からしたら単なる「モラトリアム運動」には見えるよね。もっと自分たち学生の戦う意義のようなものを押し出していかないと、飲み会の別の形態としてデモがあるみたいになってしまう。もちろんそういうデモのあり方も重要ですが。

◆何かやるとすぐ「過激派」扱い。でも、「ノリ」と「理念」があれば…
深谷 ただその上で、いわゆる一般学生と活動家の分断があると思うんですよね。例えば僕は仙台で脱原発の運動をやっているのだけど、そういうことをやっていると「中核派」だと思われる。東北大学では政治的な活動する団体はなぜか全て「中核派」だというように言われる。

臼井 それは東京でもある。何かやるとすぐに中核派だとか、革マル派とか、言われてよくわからない強い嫌悪感を示される。

深谷 少しでも活動しようとすると「○○派なんじゃないか」と疑がわれる。しかも東北大学では大学がそれを主導してやっているわけです。僕は日就寮という学生自治寮にいるのですが、日蹴寮というのは定員が100名くらいの小さな寮で、大学は日蹴寮を潰そうとしているんですね。大学は日蹴寮に対する文章で「中核派系全学連の影響力と呼びかけを受けています」と書いています。日蹴寮は自治寮だから別に中核派だろうが解放派だろうが、右翼だろうが左翼だろうが入ってくれればいいんです。寮自治というのはみんなで話し合って運営しないといけないし、その原則さえ守ってくれれば誰でもいい。しかし、そのことを当局主導のネガキャンに使われる。

菅谷 学生運動を行う学生の中では○○派だから駄目とか過去にあったような利害関係・敵対関係はかなり弱くなってきている。「原発ムラ」と一緒で、セクトがいたのは、「利権」だったし、しかし、一方で、それに大学が「完全に商業化」、「資本主義に忠実な人間作り」を推し進める過程で社会的に異議を唱えるような“異質なもの”を排除する傾向はどんどん強くなってきているわけで、向き合わなければならない問題にもなっています。ただ全く運動とかに興味のない一般学生からすると、○○派だろうがノンセクトだろうがそんなことは関係なく活動する、何かに対して反対する学生への嫌悪感は強いんですよね。

多部 北大では何か活動したからといって、○○派だとか言われるようなことはないのですが、政治に関連して言うと2009年の北大祭では政治・宗教的な活動を学祭中は禁止するということが決められました。これは新聞でも取り上げられ話題となったのですが、さすがにこれは大学としてまずいだろうという声もあって次年から規則はなくなりました。しかし反対する学生の声は多くないという印象はありました。学祭なんだから政治活動とか宗教活動はしないほうがむしろ楽しいじゃんみたいな、そういう感じなんですよね。

臼井 大多数の学生の無関心・嫌悪感というのはどこにでもあると思う。ただその中で僕は大学問題において学生が普遍的に立ちあがる問題はあると思っています。例えば学内規制に抗議しただけで入構チェックや警告を受けるとか、そういう状況がいかにおかしいかということを説き続けていけばいいと思うんですよ。

齋藤 そういう“おかしさ”で一致してやっていくことは可能だと僕も思います。最初はそういうところから始まって何でこういうことが行われているんだろうと考える。僕もそうだったけれど、そこで「何で」を形にするところから理念や大学論を学ぼうということになるんだと思う。

臼井 ただ、大学を批判したことによって、学内で尾行を受けたりとか処罰が持ち上がったりという現状を普通の学生が見ても、僕らと同じように怒りを覚えるというところに中々結びついていないんですよね。そういう明らかな問題に対してさえも無関心な姿勢を変えるためにどうすればいいかと考えたときに、やっぱり「理念」だと思うんですよ。大学生がこういう扱いを受けていることはおかしいという長々とした理念があるわけじゃないですか。それがなければこの現状がおかしいという認識を持つ人を増やしていけないと思うんですよ。

齋藤 結局理念とノリのようなもの両方必要なんだよ。まず「おかしいじゃないか!」というところで一致する、やっている人の側がちゃんと相手を説明する言葉・理論も持たなければいけない。どっちかを押し出しすぎてもうまくいかない。セクトもそうですが、だから運動は難しいだと思う。それはこれから僕たちの世代が悩みながら作っていくしかない。

3部 これから僕らは何ができるのか? そして「何をなすべきか?」

◆そもそも「大学」って?
菅谷 大学の問題の難しいところは基本的に「4年」で人が入れ替わるところだと思うんですよ。ビラ貼り禁止とか、サークル部室は4年以上の活動実績のある団体のみとか、全面禁酒とかどこの誰が決めたのかわからないルールに抗うことなく従って、信じられないほど高い学費を払うためにバイト漬けの大学生活を送って、奴隷のようになることを強いられる就職活動を経験して社会に出て行く。結局この大学の状況は「ブラック企業」であったり、毎年「自殺者3万人」という現状につながってると思うんです。この現状を変えるために、大学生だけでなくもっと厚い層を作って戦っていかないといけない。今後としてはどうやって厚みを持たせていくことができるかということを考えていきたいと思っています。

深谷 僕は大学とは未来が全て詰まっているような場所だと思うんですよ。その大学が今は悲惨なことになってしまっている。僕はこの国の大学は基本的には死滅したと思っている。だから、新しく大学を作りたいと思っているんですよ。それは既存の大学から逃避するのではなく、明確に今の大学を批判して、我々の大学のあり方を既存の大学にも普及させ、拠点となるような大学を作るような動きを作っていきたい。

鍋子 私も大学はもう死んでいると思っています。大学は公共的な空間で、本来であれば開かれた場所であるはずなのに、学籍者しか入ってはいけないとか、何かするとすぐ学生証チェックとかする。だから、これをいかに壊していくか。その方法としてまずは自主的に教室を使いまくる。それがその大学の学生だけでなく世の中に開かれていれば開かれているほど良くて、そうしていくしかないんじゃないかと思います。

臼井 それでも僕はやっぱり自主ゼミをいくらやっても何も変わらないと思っている。僕は大学において学生の意識では大きく二点が問題になっていて、一点目は現状がおかしいということに気づいていない、二点目におかしいと気づいたときに立ち上がるという回路が結びついていない。おかしいことに気づいて立ちがあがる、これをどうしていけばいいかというと、やっぱり学内でのデモや集会といった直接行動で変えていくしかない。

鍋子 そういった戦いは「強い」人であったり、私一人でやればいいと思っている。「ゆとり全共闘」としては自主ゼミを大学の中でやって、いきなり処分が想像されるような直接行動ではなく低レベルな警備員からの弾圧に対する闘争とかからやっていかなければならないと思う。

齋藤 いろんな人がいていろんな問題意識があるんだから、どこから始められるかというのは人それぞれで違いますよ。ただ、実際に弾圧がきたときに戦えるかどうかということがポイントだと思いますね。そのときに戦えるかどうか、これが肝になると思います。

深谷 無害なというか、学生の本分だと思うような自主ゼミに弾圧にくることを想定するというのもひどい話ですけどね。大学って「自分で勉強する」ところなのに、それをなぜか“阻止”してくる(笑)

鍋子 もちろん臼井君の言う身体性を行使した抗議行動というのもわかるけれど、私は「ゆとり全共闘」の2011年の闘いを見て、ああいうことをやれる人は少ないなと思っています。だからといってそこで闘いを捨てるのではなくて、集まることで闘うというようなことを考えています。大学の中に「流動性」を自分たちが創り出していろんな人が出入りできるようにしたい。「大学はこうあってほしかった」という想像を実践していくこと、そこでさまざまな人が集まっていくことが一番当局に対する戦いの一歩になりえるんじゃないかと。極論を言うと勉強をしなくてただお茶を飲んだりするだけでもいい。そういうのはただの出会い系じゃんとか、居酒屋と変わらないじゃんと思われるかもしれないけれど、大学に集まるということが今は困難なんだよ。

多部 元々は北大のスクウォットもそういうところを狙ってやりました。まずは啓蒙活動をしないといけないと思うんです。学生の意識を変えていかないと。運動じゃないけど、ちょっとこれって大学おかしいよねというのを見えるようにする。大学の中にそういう集まれる場所がないということを問題とし、それを自分たちで作ってしまおうと思ってやりました。

鈴木 僕も鍋子さんの言っていることはすごくわかります。大学って勉強しようと思っても教室が開いていないじゃないですか。それに関しては普通の学生もおかしいって言うんですよね。でもそこで何かしようと言ってもみんなやらない。そして反対している学生に対しは嫌悪感あるいは無関心という態度の学生が大半。そこを変えていきたいですよね。スクウォット同好会ほどではなくても、そういうところから変えていきたい。

鍋子 ゆとり全共闘でも、本当はスクウォット同好会みたいなこともやりたいけれど、それをやれるだけの人が今はいないし、だからまずは自主ゼミからだと思っています。そういう地道なところからやっていかないと。

深谷 自主ゼミを大学でやるということは、まず基本としてあるべきだと思う。本当だったら教授も含めてみんな学生なわけですよ。そもそも学問って反社会的行為なんですよ。だって今あるものを批判するんですよ。批判しないと学問にならない。それが実際には“学内政治”に明け暮れたり、自主ゼミやろうとしているまじめな学生を弾圧することに時間割いてる教授がいる。また、小銭をもらうために出張を繰り返すような先生ばかりです。もう大学は一個の会社のようなものになっているんですよね。でも会社のほうが、しっかりしていると思いますが(笑)

菅谷 僕は前にこの現状を分かってもらうために、法政大学の教授を一人一人訪ねたことがあります。そうすると「確かに今の法政大学はひどい。だからと言って私には何もできない」みたいなことを「思想」とか教えている教授が言うんです。完全に大学に雇われて、お給料をもらうだけになっている。絶対こんな大人になってはならないと思った。

深谷 でも我々の多くは今は経済的に地に足が着いていないわけじゃないですか。この状態で大学を変えられるのかと言ったら、このままでは変えられない。だから全国で大学をどうにかしたいという人が手を取り合って、大学を監視する市民団体を作ったり、そもそも我々自身が大学といえるような団体を作らないといけない。そして、その中で我々自身が生活できるということを証明しないといけないと思う。我々は「持続可能な」運動(もちろん地球環境もですが(笑))をしているんだと。そういうことを示していかなければいけない。僕は今大量にあふれているポストドクターとかの若手の研究者たちをしっかりとそこで囲いたいし、そこで教育を受けたいという人もいると思う。それは絶対に可能だと思うんですよ。大学に毎年多くの若者が入って、絶望して卒業していく、こんな現状を絶対に看過してはいけない。もう一つの選択肢として、「自分たちの大学」を作りたい。

菅谷 深谷君の言うように、大学は“未来”が全て詰まっている場所だと思う。だから結局、社会を変える、今よりも良くしていくためにも、自分たちが自由に考えて、自由に発想して、自由に文句が言える、そういう「基本的な人権」のための闘い。そういう大学という現場での闘いはとても重要というか、なぜ、物を書いて「反原発」とかいっている思想家とか物書きの人は、足元の大学に目を向けて抗議をしないのか?こういった認識や、大学の問題の認知度を社会の中でもっともっと高めていきたい。そして、今は大学は死んでいて、過去の蓄積も全て失われてしまったという前提もきちんと認めないといけないと思う。そして、そういった前提がだからこそ、僕たちの世代から、新しい一歩を始めていけるんじゃないかと思う。活動は個々人で出来る限界があるから、もちろんさまざま、多様でいい。いろいろな人や活動を尊重しつつ、今ある関係性を、そして新たなネットワークをもっともっと拡大していって、新しい時代を作っていきたい。こういうあたりまえのことを「あたまりまえ」にできる時代、いま、僕は、よくわかない「党派」が出来る前の、ほんとうに普通の学生とか普通の人が、声を上げた60年代初頭の安保闘争の時代にそしてたとえ、わずかな“埋火”でも、戦う学生運動の火は絶やしたくないです。


参加者プロフィール
菅谷圭祐
2007年法政大学文学部哲学科入学。学生運動と関係なしに普通に出席が足りず単位を落とし、現在法政大学六年目。今一番したいことは卒業。文学学んで6年目、好きな小説は「涼宮ハルヒの憂鬱」。大学生活でやり残したことは、学生結婚。

東洋鍋子
東洋大学社会学部二部社会学科3年。ノンポリ不登校ぎみ女子。普段はゆとり全共闘に関わっているが、基本的に何かをやっている訳でもなく、ふらふらしている。好きなものはグラフィティ、zine、映画、散歩。好きな休日の過ごし方はゴロゴロしながら音楽を聴きつつうたた寝すること。目下の目標は4年で卒業することだが(家がとても貧しいため)、その後は未定。

臼井優
首都圏私立大学在籍。セクトによるセクト主義、もしくは「ノンセクト」によるセクト主義には断固反対の黒ヘル活動家(?)。目的のために手段を選ばないタイプの活動家がダイキライ。街頭のうちで様々な社会問題がピックアップされる中、主に大学問題にポイントを絞って活動

齋藤郁真
2007年、法政大学法学部政治学科入学。2006年の3・14法大弾圧を知り、学内での学生への管理強化に反対する行動を開始。サークル本部団体の廃止問題にも取り組んでいく。2008年に法政大学文化連盟委員長。ハンガーストライキなど、行動を展開。この過程で大学の商業化という問題に突き当たる。2010年に法政大学より退学処分。2011年9月より全学連(中核派系)委員長。

深谷慎介
2009年 東北大学大学院進学と共に学生自治寮日就寮に入寮。院試前に日就寮をwebサイトで知る。東北大当局の入寮妨害をはじめとする悪行の数々を知り、日就寮に入ることを決める。現在 原発問題はじめ様々な社会問題に興味を持ち、首を突っ込んだり、突っ込まなかったりしている。目標は民衆の立場に立つ大学の設立。最近は経済現象の研究にも興味を持ちoffice99%なる市民団体で物々交換市場の開設などたくらんでいる。

多部勇樹
北海道大学の学生。2009年に北大の学生により企画された「就活くたばれデモ」に参加するとともに学生運動にかかわり始める。2011年には友人らと北大スクウォット同好会を名乗り、学内の一部を占拠し始める。

鈴木健太
北海道大学の学生。恵廸寮在住。好きな哲学者は「知のアナーキスト」ことファイヤアーベント。最近の悩みはこのままストレートに卒業して就職するか。

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プロフィール

全国学費奨学金問題対策委員会

Author:全国学費奨学金問題対策委員会
7月14日(日)にデモを行うに当たり、ゆとり全共闘のブログを一時的にジャック!!
高い学費、借金でしかない奨学金に抗議をし、するために7月14日(日)にデモを行います。
学費無償化、給付制奨学金の実現に一声あげましょう。

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