スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ゆとり全共闘と呼ばれる組織について

お久しぶりです、菅谷です。


約二ヶ月ぶりの個人的な文章ですが、この間の出来事を振り返り、今後のことを考えるために記しておきます。長くなるかも知れませんが、最後まで読んでもらえると嬉しいです。




めに、この二ヶ月の間にいくつかの大学で闘争や変化が起こりましたので、簡単に紹介しながら振り返ります。


法政大学では学内の規制強化に対して学生センターに突入し抗議活動をし、要望書を提出しました。
センター
詳細URL
(ちなみに本日この件で面談行われました。まとめ次第別途更新します)


明示学院大学ではビラ貼り規制などに対して抗議として、キャンパスに垂れ幕が下ろされ、数百枚というビラがまかれる大きな闘争が行われました。
AhPcUE5CAAE5OAE.jpg
詳細URL
明治学院においては昨日も「学内規制全撤廃集会」が行われ、またこの間の継続した抗議活動により、学生が自由に使える掲示板を獲得したそうです。



東洋大学では経営主義に抗議する内容の文書が提出されました。(当ブログ参照)


また、弾圧としては明治大学に貼られた学生が製作した新聞(ビラ)が大学によって剥がされるという出来事もあったようです(ツイッター情報)。




記のように東日本大震災以降、複数の大学で闘争が行われるようになりました。そして、このことは7、8年(大学生が二世代入れ替わる)くらいの単位で見たときに、驚くべき事態であると同時に未来への希望を感じることのできる素晴らしいことだと思います。

しかし、そのことを踏まえた上で僕は五年間の大学生活の経験から、以下の危機感を抱いています。


個別大学の闘争を続ける現状のやり方だけでは闘争の縮小再生産の一途を辿るだけであり、そしてその結果として永遠に大学は変えられないのではないか。


個人的な経験になりますが、僕が法政大学の一年生だった2007年くらいには、数年間熟成され続けたであろう無気力な空気が2・3個上の先輩方を中心に漂っていて、「大学と戦っても何も変わらない」「もうそういう時代じゃない」という言説が圧倒的な主流として君臨していました。

無気力な空気の2007年より少し前、2000年代初頭の動画を一つあげます。



動画で扱われている学生会館解体というのは確かに大きな問題でしたが、問題の大きさを抜きにしても2000年代初頭までは三桁規模の闘争がいわゆるノンセクト・ノンポリにおいても可能だったと僕は思います。
しかし、その数年後の2007年には無気力な空気が学生を支配しています。



2007年ころの無気力な空気はどこから来ていたのか。
批判を恐れずに言えば、それは過去の敗北と大学の変化からだと僕は思います。


大学において2004年の国立大学法人化と私立大学における私学法の改正が一つのエポックとしてあげられることがあります。この2004年付近には多くの大学で学生会館などの解体・「キレイな」新校舎の設立とそれに伴うキャンパス内のルールの変化が現実として行われました。


要は2004年付近に今までの「大学」が破壊され、新しい「大学」に書き換えられ、その大学の書き換えが反省されることなく今も進行している。早稲田の杉本くんの言葉で言うところの大学から誰でも集まれる「広場」がなくなって「通路」だけになっているということだと思います。


以上のことを簡単にまとめます。

2000年代初頭→戦後堅持されてきた「大学」の観点から三桁単位の闘争を無党派でも行えた、行える土壌があった
2004年付近→大学改革と学生会館などの学生が自主的に集える場の縮小・喪失が進行
2007年~現在→無気力または大学に無関心な学生が主流

そして、各大学の闘争の出現などにより、その状況が昨年あたりから変わりつつある(変わる可能性のある)と言えるのではないかと思います。





こで最初に述べた、「個別大学の闘争を続けるだけでは縮小再生産の一途を辿るだけであり、そしてその結果として永遠に大学は変えられないのではないか」という危機感に戻ります。


この危機感の理由は簡単です。
現在行われている闘争が、過去(04年以前)への回帰の要素を多分に含んで行われているからです。「広場」から「通路」と言うように04年以前と今とでは大学が物理的に大きく変わってしまいました。学生の多くが問題を共有できるような共通項は少なくなり、さらに学費と就職活動というほぼ完成された形の身体的・精神的拘束が重しとなります。
このことから、04年以上あるいは全共闘的な闘争を行うことは不可能なのではないかと考えます。


もちろん個別大学の問題と向き合った闘争は絶対に120%必要です。明学の例のように何かテーマを絞った闘争において学生側が勝つことはあります。無駄ではないし、地に足をつけた運動は絶対になければならない。
しかし、全体として見たときに、それだけでは学生は勝てないのではないかというのが僕の意見です。その結果、大学はどんどん学生から遠くなるのではないかと思います。



ここから現状を打破するために個人的な意見を述べます。

もしも大学を現実的に変革していくならば、「○○大闘争」のような場所と問題を定めた闘争だけでなく(繰り返しになりますが、この行動の否定はしません、肯定的です)、大学を横断した立場での学費や就活、管理強化など全大学に共通する問題と立ち向かうような動きを利害関係が希薄な無党派の立場からも作らなければならないのではないかと思います。


ゆとり全共闘もその一つの可能性として挙げられますが、ゆとり全共闘はノリと勢いで計画性を一切持たずに結成されたため現状は完全に個人個人の寄り合いのような状態です。そのため今後どうなるのかは僕の意思だけでは決められません。
また、このような試みはゆとり全共闘一つに限定することは全くないと思います。むしろ多くの組織が合った方がいい。その点で就活生組合という取り組みは応援するとともに、既に動き出していて単純にすごいと感じています。


そして、ここでの態度がいわゆる面白主義的なのか真面目的なのかという二項対立、あるいは別の方法なのかというのは大きな問題ではないはずです。重要なのは行動と言葉からいかに人に共感してもらえるかであり、その態度をいずれかに限定する必要はなく、別の態度と共存しつつ、個々人が効果的だと思う態度を選択すべきであり、できるのではないかと思います。


以上、大学5年の菅谷が今までの後悔と反省とこれからの希望を元に思うところを記しました。
僕の大学生としての余命はあと僅かであり、卒業までに芽がでるかどうかはわかりませんが、できるだけ多くの種植えをしておきたいと思います。


文責 法政大学 菅谷圭祐
ツイッターアカウント @sugaya_keisuke
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

全国学費奨学金問題対策委員会

Author:全国学費奨学金問題対策委員会
7月14日(日)にデモを行うに当たり、ゆとり全共闘のブログを一時的にジャック!!
高い学費、借金でしかない奨学金に抗議をし、するために7月14日(日)にデモを行います。
学費無償化、給付制奨学金の実現に一声あげましょう。

リンク
カウンター
twitter
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。