スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

そもそも学内規制とはなんなのか―学内規制勉強会の前に―

在大学という場において、何かが「規制されている!」という危機感を持った学生はあまり多くないと思う。
大学には自由に使えるパソコンがあり、驚くほど豪華な食堂があり、職員さんは親切に就職の相談にまで乗ってくれる。さらには噴水やイルミネーション、夜景までそろっている。何一つ不自由はないし、自由を求める必要がない、そう考えることもできると思う。


しかし、今現在、僕たちの目に映る大学だけでなく、過去、歴史に目を向けることで様相は大きく変わる。近年、特にここ10年以内のキャンパスの風景は歴史の中で有り得ないほどに異常なものとなる。


多分、この問題はいくつか具体例をあげた方がわかりやすい。僕が通っている法政大学の写真を見て欲しい。


学生会館(2004年に解体)
資料2

学生ホール(2007年に改修)
ho-ru.jpg




年ほど前まで法政大学という場所は、実質的に24時間学生が使用可能、学内で飲酒もでき、各種さまざまな主張を持った学生が自由に活動し、賛否はあるだろうが大学の壁にまでビラを貼れるような大学であった。


しかし、上に掲げたものは2012年では何一つ法政大学に残っていない。
そして、このような大学の変化は法政大学だけに限らずに多くの大学で同様に、またほぼ同時期から進行しているのではないかと思う。


大学を管理する側は大学が潰れることに対する危機感を強く持つようになった。
理由は規制緩和、少子化などがあるだろう。そして怪しいビラ、怪しい団体、怪しい表現活動がない方が、受験生が集まると考えるようになった。それは当然と言えば当然なのかもしれない。一般的な感覚を持つ人は汚いよりもキレイな方を好み、うるさいよりも静かな場所を良い場所だと考える。そしてこのような大学の変化により実際に受験生が集まっているのだと思う。あるいは大学からあらゆる異物を排除したことで、職員・教員の中には職を失わずにすんだ人もいるのかもしれない。


しかしビラも貼れない、自由に主張もできない、そのような風景が大学の日常となったときに学生には以下のような変化が現れていると思う。


キャンパス内で何かを主張しようとするものに対して拒絶反応を示すようになり、誰かが大学から排除されそうになっても、それを当たり前のものとして受け入れるようになる。
数年前までは当たり前な権利としてあったビラ貼りの自由、それを求める行動を異常と考えるようになり、自分の見慣れない主張の書かれたビラや行為に対して異常なまでの嫌悪感を抱くようになる。



想像力が貧困になり、自己の円の外にいる他者を許容する心、思いやる心を失ってしまっている(と、僕は考える)。



キャンパスにおいて、何ができるかできないか、誰と会えるか会えないかということは、(日本においては特に)人生における人格形成の最後の場となっている大学において重要なことなのではないかと思う。想像力が貧困な学生が大学を卒業し、年を重ね、成熟し、社会を形成し、大多数となったときに、どのようなことがことが起こるのか。僕はあまり良い種類の未来図を想像することができない。


異物や騒音を排除したことで、物理的に存続することの出来ている大学は実際にあるのかもしれない。しかし、それを大学と呼んでいいのだろうか。
現在と過去では、どちらの方が「大学」と言えるのか。まずは、現在の大学の風景を疑い、大学について考えてみることを提案したい。

文責 法政大学 菅谷圭祐
ツイッターアカウント @sugaya_keisuke

第一回ゆとり首脳勉強会 テーマ:学内規制
現在の首都圏の大学における、規制強化についてのディスカッション。
日時 3月9日(金)19時から
場所 文京シビックセンター3階会議室B
UST http://www.ustream.tv/channel/ゆとり首脳勉強会

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

全国学費奨学金問題対策委員会

Author:全国学費奨学金問題対策委員会
7月14日(日)にデモを行うに当たり、ゆとり全共闘のブログを一時的にジャック!!
高い学費、借金でしかない奨学金に抗議をし、するために7月14日(日)にデモを行います。
学費無償化、給付制奨学金の実現に一声あげましょう。

リンク
カウンター
twitter
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。